『アウシュヴィッツの争点』(50)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第3部 隠れていた核心的争点

第6章:減少する一方の「ガス室」 2

「記録の抹消といった巧妙な手口」という説明の矛盾

「ドイツ軍が崩壊状態にあったから、証拠湮滅作業まで手がまわらなかったのだ」と主張する人もいるだろう。では、その主張と完全に反対の、つぎの『ニュースウィーク』(日本語版89・6・15)のような文章がいたるところで目につくのは、いったいどういう理由によるものなのだろうか。

「歴史学者を悩ませる謎のなかで、最も不可解なのはユダヤ人大量虐殺(ルビ・ホロコースト)だ。なぜナチは、ヨーロッパのユダヤ人を抹殺しようとしたのか。人々をどう説得して、この残虐非道な計画の実行に当たらせたのか。事件のあまりのむごたらしさに、戦後一五年間ホロコーストの本格的な研究に取り組もうという者はいなかった。その後研究に乗り出した者も、ナチの秘密主義、命令が文書化されていないこと、記録の抹消といった巧妙な手口のため、思うように成果を上げられなかった」

 すでに「おおくの点で不正確」と批判した記事だが、そのなかでも、もっともいい加減で当てずっぽうなのが、以上のような最初の書きだし部分である。ここでは、「ホロコースト」の謎がとけない最大の理由を、「記録の抹消といった巧妙な手口」に帰している。まずはこの釈明自体がすでに、「証拠不十分」と「裏づけ調査の不足」の告白となっていることに注意してほしい。

 つぎに重要なのは、「記録の抹消」についてもまったく裏づけがないことである。ジャーナリズムの業界用語では「裏をとる」というが、その基礎作業を手ぬきした「噂」がそのまま、学術研究と称する文章にもつかわれているのが実情なのだ。実際には、その崩壊にさいして、ナチス・ドイツほど文書記録の湮滅の努力をしなかった国家権力はない。ナチス・ドイツがのこした公文書についての研究も、わたしの手元にある。

 おなじ敗戦国でも日本の場合にはまだまだ、「天皇制国家」の「国体護持」という明確な目的がのこっていた。軍隊は崩壊寸前だったが官僚機構は健在だった。

 東京都知事になった鈴木俊一とか、読売新聞会長になった小林与三次とかいう、元内務省高級官僚の思い出話が活字になっている。それらによると、天皇の側近官僚、官僚の上に立つ官僚といわれた元内務省の地方局事務官たちは、「終戦応急処理方針」を全国の末端にまで徹底させるために、無料パスをあたえられて急遽、満員の汽車にわりこんだ。その結果、ポツダム宣言受託決定の一九四五年八月一〇日からアメリカ軍が進駐してくるまでの全期間を通して、霞ヶ関一帯を典型とする全国のあらゆる官公庁から、証拠書類湮滅の煙がモウモウと天をこがして立ちのぼったのである。

 ナチス・ドイツの場合には、ヒトラー総統の自殺と腹心の逃亡などが象徴するように、中央の機能が一挙に壊滅してしまった。だから、証拠書類湮滅はほとんどおこなわれなかったのではないだろうか。

 絶滅説に立つホロコースト史家の中心人物、ラウル・ヒルバーグは、映画『ショア』のなかで、要旨つぎのように断言していた。

「[最終的解決の]記録、特定の計画、メモは、ひとつとして発見することができない」


(51)現代史研究所長が「ドイツではガス室殺害なし」と新聞投書