『アウシュヴィッツの争点』(70)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

あとがき

 この問題についてわたしが書いた文章がはじめて活字になったのは、一九九四年八月一〇日発売の『噂の真相』(94・9)誌上である。ときまさに日本の「終戦記念日」の直前、それも四九回目で、翌年の五〇回目、つまりは戦後半世紀目を意識するさまざまな市民運動やジャーナリズムの関心がもりあがってきた時期だった。そのためでもあろうか、賛否両論、さまざまな反響があった。

 だが、それからが大変だった。なにしろ日本には、この問題で予備知識のある人はほとんどいない。日本語の資料はほとんどないにひとしい。これまでに日本語でまとまった記事は『ニューズウィーク』日本語版(89・6・14)の二ページの無署名記事、「ホロコーストに新解釈/『ユダヤ人は自然死だった』で揺れる歴史学界」だけである。NHKの3チャンネル「海外ドキュメンタリー」(93・6・4)で放映した『ユダヤ人虐殺を否定する人々』は、デンマーク・ラジオ制作の原版に日本語をくわえて編集したものである。わたしは西岡から教えられて収録ビデオを入手したので、細部までの確認ができた。どちらも一部を紙上再録し、検討の材料とした。いうまでもなく、この両者ともいわば翻訳物で、日本人の研究者やジャーナリストの独自の仕事ではない。

 日本の戦後五〇年検証は、当然、日・独・伊の三国同盟関係の総合的な検証をもはらむ。ドイツにおける戦後五〇年検証の一環としてかかすことのできない「ユダヤ人問題」、そしてその核心的事件である「ホロコースト」の評価、それがいま、ゆれにゆれているとしたら、日本の戦後五〇年検証へのはねかえりもおおいにありうるだろう。これまでの半世紀にわたって、かぞえきれないほどの文芸作品のなかで、戦争のむごさをもっとも象徴的に表わすものしてあつかわれてきた「ホロコースト」が、実は「なかったのだ」と主張するわけだから、その影響はおおきいし、執筆し、発表する側の責任もおもい。

「ペンは剣より強し」という格言のラテン語の原形は、実は、「ペンは剣よりもむごい」だったのだそうである。本来は、まったく反対の意味で、言論の権力荷担を批判する警句だったのだ。

 言論なり報道にかかわる個人には、大変に「むごい」罪をおかす可能性がある。ペンをふるうものの個人責任は、場合によっては、殺人専用につくられた剣をふりまわす軍人の罪よりもさらにおもいのである。かるがるしくペンをふりまわすべきではない。個人責任は明確にすべきである。逃げ隠れはゆるされない。名誉をかけた正々堂々の真剣勝負の覚悟をせざるをえない。講談ならば、「やあ、やあ、遠からんものは音にも聞け、近くばよって目にも見よ」である。

 そこでわたしは、自分の覚悟を自分自身にたいしてもあきらかにするために、それまでの流儀どおり、自称「個人メディア」の『フリージャーナル』(B4裏表、一刷一〇〇〇部以上発行)の第24号(94・7・23)を発行した。題字のわきに、「戦後50年検証の視点をどこに定めるか。真相追及第一弾」としるし、『噂の真相』の予定記事を抜粋紹介した。横大見出しは「ホロコーストは『なかった?』で揺れる欧米歴史学界」である。こちらは手わたしで配るミニコミだから、すぐに直接の反応があった。代表的なのは、「重大な問題だから慎重にあつかうべきではないか」といったたぐいの忠告であった。しかし、「慎重」とか「裏をとって」とかの個人的努力には限度がある。問題はむしろ、議論が表面化しておらず、真に実証的な研究者がすくないことにこそある。本文でもくわしく紹介したように、すでに常識を訂正すべき点が多々ある。そのほかの問題点についても見直し論者の主張がまちがいならまちがいで、それが検証され、真相がよりあきらかになればいいのだ。根拠のある疑問を提出することをためらうべきではないし、ましてや、疑問の提出をさまたげるような圧力はゆるされるべきではない。

 しかも、わたしが「ホロコースト」の見直しの必要性を強く感じ、拙速の発表をえらぶ決意をした裏には、つぎのような特殊な事情があった。

 第一には、「ホロコースト否定論者」の個々人の事情であるが、日本でみずから「ドイツ現代史研究者」をなのる人物の文章などを見ると、ひとまとめにして、いわゆるネオナチの仲間としてしか認識していない。ところがこれが、まったくといってもいいほどの逆の事情だったのである。このような情報のながれの逆転、もしくは歪曲の裏には、意識的な報道操作の手がくわえられている可能性がたかい。

 第二には、いわゆる「ユダヤ人過激派」による暴力的な襲撃である。一九九四年二月二五日にも、イスラエル占領地ヘブロンのモスクで礼拝中のパレスチナ人イスラム教徒をユダヤ人過激派が自動小銃で撃ちまくるという、無残きわまりない大量虐殺がおこなわれた。ユダヤ人過激派、またはユダヤ教の狂信者は旧約聖書を根拠にして、パレスチナ地方とその周辺を神が自分たちにあたえた土地であると主張している。おなじような狂信者の集団がアメリカで「ホロコースト否定論者」または「ホロコースト見直し論」の学者たちをおそい、研究所を焼き打ちするという、ヒトラーまがいの焚書をやらかしているのだ。

 本文中でもしるしたが、一九七八年には、「ホロコースト」物語の矛盾をあらゆる角度から指摘したパンフレット、『六〇〇万人は本当に死んだか』のフランス語版を普及していたフランスの歴史家、フランソワ・デュプラが暗殺され、アウシュヴィッツ収容所関係者の組織、「記念コマンド」と「ユダヤ人革命グループ」が犯行声明を発表している。

 こういう情報の歪曲や暴力的な言論封殺は、絶対にゆるされるべきではない。また、ほとんどの場合、この種の歪曲や言論封殺をおこなう側には、真実がかけているのではないだろうか。

 本書のもう一つのテーマは、この複雑な問題の真相を解明すると同時に、その作業をとおして、これまで事実をゆがめてつたえてきたマスメディアを、具体的に批判するこにあった。だから、その目的にむけて、できるかぎりおおくの日本国内のメディアが報道した断片的材料をひろいあげた。それらの比較検討によって、真相と同時に、メディアによる歪曲の手口をもあきらかにしようと努力した。

 フォーリソンは、国際電話でわたしが不用意に「否定」という言葉をつかった際、即座に、「見直し」のほうが良い、言葉は重要だと注意してくれた。その意味では「見直し」の材料の存在を世間に知らせることが大事だろう。むしろこの際、ひろく共同研究をよびかけることに、よりおおきな意義を見いだす心境である。そのために、できるだけおおくの資料探索の手がかりをのこすように心がけた。

 一年未満の拙速の仕事なので、誤解や見落としもおおいと思うが、遠慮なく指摘していただければさいわいである。

   一九九五年五月二四日

木村 愛二


以上で(その70)終わりで全編の終わり。