試訳:ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物
フリードリヒ・パウル・ベルク
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2006年8月10日
本試訳は当研究会が、研究目的で、Friedrich Paul
Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust.
The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations
Press, online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndieselgc.html [歴史的修正主義研究会による解題] ホロコースト正史によると、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、マイダネク、クルムホフ、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの「絶滅収容所」のうち、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの「ガス室」ではディーゼル・エンジンの排気ガスからの一酸化炭素を使って大量殺戮が行なわれたという。ドイツ系アメリカ人の修正主義者ベルク(バーグ)は、ディーゼル・エンジンの排気ガスからの一酸化炭素を使った大量殺戮が化学的、技術的にいかに非合理であったかを実証的に明らかにしている。論集『ホロコーストの解剖』の論文。 |
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1. 公の論争理由[1]
アメリカ市民ジョン・デムヤンユクに対する訴追は、それまであまり関心をもたれなかったホロコーストの側面に、世論の関心を向けた。デムヤンユクは、1942年、1943年に、トレブリンカ「絶滅収容所」で、ディーゼル排気ガスを使って、少なくとも875000名のユダヤ人を殺害したと告発されていた[2]。それまでは、民族社会主義者はおもにシアン化水素(チクロンB)を使ったガス室で犠牲者を殺戮したというのが世論の固定観念となっていたが、それ以上の犠牲者がディーゼル排気ガスで殺されたという考え方が普及しはじめている。レーガン大統領の前補佐官であったパトリック・ブキャナン――アメリカの著名なコラムニストの一人――の記事は、現在まで、広く論議を喚起しつづけている。ブキャナンは、ディーゼル・エンジンが人間を殺すことができるという説に反駁している[3]。彼の大雑把な話は一般的すぎて、訂正を必要としたために、多くの批判を浴びた[4]。
1992年初頭、連邦オーストリア技術者協会会長ヴァルター・リュフトルの手になる報告書は、ディーゼル排気ガスを使った大量殺戮が「まったく不可能」であると論じた[5]。そのすぐあと、彼は、ディーゼル排気ガスが比較的無害であるという自説を論文[6]の中で立証したが、これも反対派から批判された[7]。
2. 序文
たとえどのような月並みな殺人事件についての裁判であっても、凶器についての豊富な情報が存在するはずである。したがって、殺人――ガス室での数百万のユダヤ人の大量殺戮という前代未聞の、野蛮な事件――をあつかった連合国やドイツの戦後裁判でならば、文書資料にもとづく広範囲で正確な立証作業がなされたと考えられるであろう。
たしかに、膨大な文献があるが、それは、ホロコースト物語のさまざまな側面についての数多くの「目撃証言」と「文書」を含む、これらの裁判資料にもとづいている。しかし、絶滅過程の実際のメカニズムについては、きわめて、簡単で、あいまいな記述しか存在しない。
第二次世界大戦が終了してから50年以上が経過した。ホロコーストの専門家には、文書資料、大量殺戮現場、裁判での数多くの証言を検証する十分な時間と機会があったはずである。この半世紀に、彼らはたしかに活発ではあったが、ほとんど何も発見してこなかった。実際、「自白」と「目撃」証言の断片以外には、ほとんど何も発見していないのである。絶滅過程の実際のメカニズムについては大きな情報ギャップがあり、そのために、深刻な疑念が生じている。
情報ギャップも深刻な問題であるが、さらに事態を悪くしているのは、発見された情報の断片にはまったく信憑性が欠けていることである。「大量殺戮」を「間に合わせの仕事」、「狂人の仕事」、「不可解な仕事」と特徴づけることは状況を控えめに語ることである。証拠はほとんど存在しないが、その証拠を科学的に検証すればするほど、ホロコースト物語をあれこれのかたちで繰り返している人々は、自分たちの語っていること、書いていることにまったくの無知であることが明らかとなっている。「目撃者」の証言はとくに不可解である。ホロコースト専門家はゲルシュタイン陳述を長いあいだ利用してきたが、彼の陳述は不可解な証言の典型である。そして、その他の「陳述」と「自白」もすべて、それ以下ではないとしても、やはり質の悪いものである。
さまざまな絶滅手段が馬鹿げたものであることは、それ自体では、ホロコーストが起こらなかったことを証明しているわけではない。しかし、少なくとも、理性的な人々にこのように奇怪な話を信じさせるまえに、何らかの確証があることを納得させる必要があるであろう。また、ガスを使ってユダヤ人を殺害せよとの文書命令のような証拠、誤ってガス室とされた普通の部屋ではなく、実際に稼動したガス室のような物的証拠はまったく存在しない。このことだけでも、何か重大な過ちがあることは明らかである。トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの「ガス室」は、終戦前に破壊されたという。アウシュヴィッツ、マイダネク、ドイツ固有の領土の収容所の「ガス室」は、明らかに普通の部屋(死体安置室、シャワー室、害虫駆除室)として設計・使用されたにもかかわらず、間違って「ガス室」とされてきた普通の部屋である[8]。
大量殺戮についての、おそろしい、きわめてあいまいな目撃証言を捏造することは簡単である。敗戦国民についてのこのような話を受け入れさせることも簡単である。恐ろしい戦争のあいだに、すでに戦勝国のマス・メディアは敵をまったく堕落した、邪悪な対象と描き出すことに成功していたからである。しかし、ディーゼル排気ガスを使って大量殺戮を行なうことができるかどうかを説明することはそんなに簡単ではない。
3. 絶滅論者の立場
表1は、1961年に出版されたヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』からである。表は、過去20年間のホロコースト物語について、広く認められ、「コンセンサス」となっている研究者たちの見解をまとめている。ここにあげられている収容所は、今日、「絶滅」収容所であったとみなされているものだけである。
左から4番目の列によると、ほぼすべての収容所で、殺害方法は、一酸化炭素すなわちCOであったとされている。アウシュヴィッツでは、殺害方法はシアン化水素すなわちHCNであったとされている。一酸化炭素が使われたとされている5つの収容所のうち、犠牲者の大半は、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの3つの収容所で殺されたという。COの犠牲者の大半が殺されたのはこの3つの収容所であったという。また、ここでは、ディーゼル・エンジンが一酸化炭素を発生した。クルムホフ(チェルムノ)、ルブリン(マイダネク)で殺されたとされるユダヤ人の数は、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルでの数と較べて、比較的少なかった。ロシアで使われたとされているガス車もディーゼルを使ったという。
これらの犠牲者の数は今日広く受け入れられているが、その数をもとにすると、ドイツのガス室によるユダヤ人犠牲者のほぼ3分の2がディーゼル排気ガスでガス処刑されたことになる。言い換えれば、ディーゼル・ガス室は、「犠牲者」の数からすると、もっとも重要なガス室である。
表1: ヒルバーグによる死の収容所の特徴[9] |
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収容所 |
場所 |
管轄 |
殺人方法 |
犠牲者の数 |
クルムホフ(チェルムノ) |
ヴァルテラント |
SS警察指導者(コッペ) |
ガス車(CO) |
150000 |
ベルゼク |
ルブリン地方 |
SS警察指導者(グロボクニク) |
ガス室(CO) |
600000 |
ソビボル |
ルブリン地方 |
SS警察指導者(グロボクニク) |
ガス室(CO) |
|
ルブリン(マイダネク) |
ルブリン地方 |
WVHA(SS経済管理中央局) |
ガス室(CO、HCN) 射殺 |
50000-20000010 |
トレブリンカ |
ワルシャワ地方 |
SS警察指導者 |
ガス室(CO) |
750000 |
アウシュヴィッツ |
上部シレジア |
WVHA |
ガス室(HCN) |
100万[12] |
*Updated
figures were added here; cf. the appropriate notes. |
少なくとも1939年と1940年の数ヶ月間、ディーゼル・エンジンは、精神病か治癒不能のドイツ人を殺す安楽死計画の一部として、ドイツで使われたことになっている。そして、すでに安楽死計画でディーゼルを使った経験が、全国局長ヴィクトル・ブラックと刑事委員クリスチャン・ヴィルトのような安楽死計画に関与した同一人物の手によって、東ポーランドのトレブリンカ、ベルゼク、ソビボルでのユダヤ人殺戮に応用されたという。ヒルバーグによると、「[安楽死]作戦の事実上の責任者であった」ブラックの命令で、安楽死計画のための「一酸化炭素ガス室」を建設したのはヴィルトであった。1942年春、ブラックはヴィルトにルブリンに行くように命じた。「そこでヴィルトと彼の部下は、原始的な条件のもとでガス室を建設し始めた。彼らはディーゼル・エンジンからパイプを介して一酸化炭素をガス室に送り込んだ。」[13]
NBCの連続テレビ番組「ホロコースト」は、一般的に受け入れられているホロコースト物語をドラマ化したものであるが、そこでも、大量殺戮にディーゼル・エンジンを使ったことが何回か言及されている。あるシーンでは、ブルーノ・テシュ博士――実生活では有能な化学者であり、戦後に連合国の手で絞首刑となった[14]――が、絶滅計画を管轄する想像上の人物SS将校エリック・ドルフに向かって、一酸化炭素に対するチクロンBの利点は「機械を必要としないので、一酸化炭素を使う場合のように、故障することがない」と説明している。また、別のシーンでは、アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスがディーゼル・エンジンを稼動させようとすると、エリク・ドルフが、チクロンBという別の物質を発注したので、ディーゼル・エンジンは必要ではないと彼に説明している。
4. ゲルシュタイン陳述
クルト・ゲルシュタイン陳述はホロコースト伝説の根幹となっている。ゲルシュタインはSS上級突撃長(中尉)で、技師の卒業資格を持つ鉱山調査官であった。彼はフランス軍に降伏すると、1945年4月26日の日付の陳述を提供したという。彼は、「ナチ」絶滅計画について世界に警告しようとした功績で、イスラエル人その他のユダヤ人作家から、「正義の異教徒」の地位に高められてきた。ロックによると[15]、ゲルシュタイン陳述には6つの異なったバージョンが今日まで発見されており、さまざまな研究者によって、ひどく歪曲されたかたちで引用されている[16]。しかし、ゲルシュタイン陳述には空想的で信じられない話からまったく不可能な話まで含まれており、さらに、彼自身はフランス軍への密告者として自分を売り込もうとして失敗し、獄中で自殺したということになっているために、最近では、彼を「検事側証人」からはずすのが一般的となっている。だが、彼の陳述は、少なくとも、ディーゼル・ガス処刑の技術的側面について物語っている唯一の「証言」である。
以下のテキストは、レオン・ポリャーコフの『憎悪の収穫』の中で英訳されているゲルシュタイン陳述の抜粋である。ポリャーコフの訳には、原文の25u(269平方フィート)のかわりに、93u(1000平方フィート)のなかに700−800名が詰め込まれたという、あつかましい「誤り」があるが、それは別として、その他の翻訳と較べても、質の悪い翻訳ではないであろう。
「SS隊員が人々を部屋に押し込んだ。ヴィルトが『いっぱいにしろ』と命じた。700−800名が93[ママ、原文では25]uに押し込まれた。ドアが閉じられた…
今や、私もやっと、何故この施設全体が「ヘッケンホルト建造物」と呼ばれているのかを理解した。ヘッケンホルトは、ディーゼル・エンジンの運転手で、ディーゼルの排気ガスで哀れな人間を殺すわけであった[17]。SS下士官ヘッケンホルトはディーゼルを始動させようとした。しかし、ディーゼルは始動しなかった!ヴィルト隊長がやってきた。彼は私が立ち会っている今日に限って、そんなことになったのを苦にしているようだった。実際、私はすべてを理解したのである!私は待っていた。私のストップウォッチはすべてを記録していった。50分たち70分たったが、ディーゼルは始動しなかった!人々はガス室の中で待たされていた。彼らが「シナゴーグでのように」と泣いているのが聞こえる、とSS少佐プファンネンシュティール教授博士が木製ドアの窓に耳をつけながら言った[18]。ヴィルト隊長は怒って、ヘッケンホルトを手伝っていたウクライナ人の顔を乗馬鞭で打った。私のストップウォッチによると、2時間49分して、ディーゼルが始動した。それから25分がすぎた。まさしく多数の人が死んでいた。小窓から覗くと、電灯の光が部屋を一瞬照らして、それが判った。32分後には全員が死亡していた!
向こう側からユダヤ人労働者が木製ドアを開けた。彼らは、そのおそろしい仕事の代償として、自分たちの命と、集められたお金と貴重品の何%かを約束されていた。玄武岩柱のごとく死人は部屋の中に押し合って並んで屹立していた。倒れたり傾いたりするのさえ、余地がなかったのであろう。まだ手を握り合っていたので、家族同志を識別することができた。次の一団を入れるために、部屋を空けようとして、彼らをもぎ離すのに骨が折れるほどであった。汗と尿にぬれ、便に汚れ、脚の間に月経の血をつけた、青味がかった[19]、死体が投げ出された。」
700−800名を25uに詰め込むこと、すなわち、1uに28−32名を詰め込むことは物理的に不可能である[20]。プファンネンシュティール教授がのぞき穴を介してではなく、窓を介してガス室を覗き込んだ。そして、その窓が付いていたのは、ガス気密の鉄製のドアではなく、木製ドアであった。少なくとも1つのガス室の両側には木製ドアがあったのであろう。ディーゼル・エンジンが始動するまで、ほぼ3時間たっても、犠牲者たちが生きていたという話であるので、多くの空気が室内に浸透していたにちがいない。そうでなければ、ディーゼル・エンジンがなくても、ユダヤ人は窒息死していたにちがいない。
犠牲者が脱出を試みたという話はまったく登場していない。みんなで打ち壊そうとすれば、ガラス窓の付いた木製ドアは持ちこたえることができなかったことであろう。「木製ドアの窓に耳をつけて」いたプファンネンシュティール教授は、誰かが打ち壊そうとしていれば、それに気づいたことであろう。しかし、犠牲者たちはしっかりとした精神状態で、家族ごとにまとまり、手をとりながら、十分な酸素を吸って、すすり泣いていたという話になっている。
マルブルク大学医学部教授プファンネンシュティール博士は、収容所の健康状態の改善のために、ベルゼクその他の収容所に派遣されていたのである。戦後、彼はゲルシュタインとベルゼクに行った件について再三尋問されている。彼は2つの事件で告訴されたが、有罪とはならなかった。彼は、現在利用できる彼の法廷陳述では、ゲルシュタインの話に直接反駁していないが、私信の中では、ゲルシュタイン陳述を「『妄想』、事実を凌駕している、まったく疑わしいたわごと」と記している[21]。また、自分に対する訴追とスキャンダルのために、この事件についてこれ以上公けにコメントしたくないと記している。言い換えれば、彼が尋問のときにゲルシュタイン陳述を受け入れたのは、それが事実であったためではなく[22]、これ以上のトラブルを避けようとしたためである。
引用したテキストの最後のセンテンスによると、犠牲者の死体は「青味がかっていた」という。これは、一酸化炭素中毒死に関していえば、大きな誤りである。一酸化炭素中毒死の死体はまったく、青味がかってはいず、逆に、はっきりとした「さくらんぼ色の赤」か「ピンク」であるからである[23]。この点は大半の毒物学ハンドブックに書かれており、医者であれば、また、全員ではないとしても、救急隊員であれば、熟知していることである。一酸化炭素中毒は、自動車のおかげで、一般的であり、その他すべてのガスによる中毒事件よりも、数が多い。
ゲルシュタイン陳述は、その名誉のためにいっておけば、一酸化炭素がディーゼル排気ガスの致死的要素であるとはまったく述べていない。ディーゼル排気ガスの一酸化炭素が死をもたらしたと述べているのは、絶滅論者、すなわちホロコースト物語を支えようとしている人々である。西ドイツでの裁判では、いくつかの「目撃証言」が「青味がかった」死体について言及しているが、それは、そのような証言の多くが「模倣された」ものであることを示しているにすぎない。ホロコースト事件に関係する西ドイツの裁判所や研究者は疑問を呈することなく、このような証言を受け入れてきた。この事実は、この問題に関係した裁判と「研究者」が哀れなほど見かけだおしであることを明らかにしている。
もしも死体が本当に「青味がかっていた」とすれば、それは一酸化炭素中毒死ではない。「青味がかっている」という特徴は、死因が窒息死、すなわち酸素不足であったことを示している。本小論ではその可能性が考察される。そして、ディーゼル・ガス室では、酸素不足による死もありそうもないことではあるが、それでも、一酸化炭素中毒死よりははるかにありうることを明らかにするであろう。
ホロコースト物語を支持するフランス系ユダヤ人歴史家ポリャーコフは次のように書いている。
「…この記述[ゲルシュタイン陳述]に付け加えることはほとんどない。これはトレブリンカとソビボルだけではなく、ベルゼクにもあてはまる。ベルゼク収容所はほとんど同じ様式で建設され、ディーゼル・エンジンからの排気ガスに含まれている一酸化炭素を凶器として使った。」
ポリャーコフによると、150万以上の人々がディーゼル排気ガスで殺されたという[24]。
5. 一酸化炭素の毒性
ディーゼル・ガス室説を検証するには、2つの重要問題がある。
・30分間で人間を殺すにはどのくらいの一酸化炭素が必要であるか。
・ディーゼル排気ガスにはそのような量の一酸化炭素が含まれているか。
一酸化炭素中毒は1920年ごろから徹底的に研究されてきた。この当時、自動車用トンネル、とくにオランダ・トンネルのようなニューヨーク市交通のトンネルにはどのような換気装置が必要であるかを決定するために、丹念な研究が行なわれた。1940年代初頭以降、Yandell HendersonとJ.
ヘンダーソンが「弱」という用語を使ってあいまいな言い回しをしているのは、残念なことである。ヘンダーソンその他は、非致死性については、きわめて正確に実験室の中でテストすることができたが、致死性については同じようなやり方ではテストできなかったためであろう。致死性とそれに対応するCOレベルは、人間に対する非致死性実験と動物に対する致死性実験から、注意深くカルボクシイ・ヘモグロビンレベルを抽出することにもとづいて、決定された。
致死性についての実験結果は、期待されるほど正確なものではないが、ディーゼル・ガス室について重要な結論を下すには十分に正確なものである。
絶滅論者によると、ガス処刑は30分以下で行なわれた[26]。
表2: 一酸化炭素の毒性[27] |
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大気中の一酸化炭素の百万分率 |
一酸化炭素
%/vol. |
生理学的効果 |
100 |
(0.01) |
数時間その中にいても許容濃度 |
400 to 500 |
(0.04 - 0.05) |
1時間までの吸引、感知しうる症状なし |
600 to 700 |
(0.06 - 0.07) |
1時間その中にいたのち、感知しうる症状 |
1,000 to 1,200 |
(0.10 - 0.12) |
1時間の吸入、気分が悪くなるが、危険な症状ではない |
1,500 to 2,000 |
(0.15 - 0.2) |
1時間吸入すると危険な濃度 |
4,000 以上 |
(0.4以上) |
1時間弱吸入すると致命的 |
1時間ではなく、わずか30分で人を殺すのにどれくらいの一酸化炭素が必要であるか決定するには、「ヘンダーソンの法則」として知られている、簡便な法則があり、それは広く認められている。
%/vol. CO ×吸入時間=毒性の強さ
言い換えれば、毒性の強さに関しては、毒の濃度は吸入時間に反比例するということになる。すなわち、30分で人を殺すには、1時間で殺す濃度の2倍必要となる。この法則を「1時間弱で」人を殺すには「0.4%以上」という点に適用すると、30分弱で人を殺すには0.8%以上が必要ということになる[28]。
同じ規則を1時間の吸入で「危険」となる0.15−0.20%に適用すると、30分の吸入で危険となるCO濃度は0.3−0.4%となる。
結局、一酸化炭素を致死性物質として使用するガス室であれば、平均して、少なくとも0.4%の濃度の一酸化炭素が必要となり、さらに、その数字は0.8%に近くなるかもしれない。「0.4−0.8%」という数字を基準数字として念頭に置いておかなくてはならない。
これらのデータが有効であるのは、大気中に通常の濃度の酸素が存在している場合だけである。酸素の量を半分、すなわち通常の21%から10.5%に減らせば、COは2倍の効果を持つことになる。0.2%の濃度でも1時間で人を殺すのに十分となる。だから、特定の濃度のCOが実際にはどのような効果を持っているかを決定するには、酸素濃度との関連で考察しなくてはならない。それゆえ、表やグラフの数値を利用するにあたっては、通常の酸素レベルでのCO濃度の効果と同じ効果を持つ、酸素量の減った実際のCO濃度を定めなくてはならない。この濃度のことを「有効CO濃度」と呼んでおこう。これは、「実際CO濃度」と通常の酸素濃度(21%)、実際の酸素濃度(x%)との関係の中で、次のような定式を使って定めることができる。
「有効CO濃度」=「実際CO濃度」×(21%÷x%)
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グラフ1:一酸化炭素の毒性[29]、上:オリジナルの表、下:著者が抽出した補足数値 |
もう一つ念頭に置いておかなくてはならないのは、ポンドや立法フィートで測ることのできる毒の量ではなく、吸入時間全体を通じた平均濃度である。この問題は、本小論では難点となっている。濃度を決定するには、燻蒸された部屋の容積を知っておかなくてはならないが、「ディーゼル・ガス室」の詳細についての情報が欠けているからである。濃度の代りに、毒の絶対量を決定することでもこの問題を解決することはできない。ガス室の大きさについては、たとえば、ゲルシュタイン陳述の記述などがあることはあるが、それらはまったく信憑性に欠けるので、それを使って検証することは無意味である。
表1は、さまざまな低レベルの一酸化炭素にさらされた場合、吸入時間の経過にしたがってどのような症状がでるかをあらわしている。ここでの最高のCO濃度は600ppmである。600ppmは0.06%/vol.のことである。この図表は、平均600ppmのCOの中に1時間いると、頭痛を感じるかもしれないが、そんなにひどいものではないことを示している。100時間いても、最悪の場合気を失うかもしれないが、死には至らない。しかし、600ppmに30分さらされただけでは、まったく症状は出ない。少しの頭痛もしない。あとでこの数字に触れるであろうが、「0.06%」という数字を基準数字として念頭に置いておかなくてはならない。
これらのデータは抽出されたものであるが、排気ガスの高濃度のCOの毒性についてのもっと信頼できるデータを手に入れるためには、事故や自殺統計を参照しなくてはならない。一酸化炭素で事故死した人々、自殺した人々は、血中カルボクシイ・ヘモグロビン(Hb. CO)テストをされている[30]。
毒物学者は、民族社会主義者(もしくは民族社会主義者といわれている人々)が一酸化炭素ガス室で達成しようとしていたことを、「LD100」、すなわち犠牲者100%を殺す致死量(the lethal dose for
killing 100% of the victims)と呼んでいる。一酸化炭素中毒による100名の死亡例についての統計的研究が、具体的な事例をあげている。表3は、1950年代からの一酸化炭素中毒犠牲者のHb.COレベルである。
表3: 犠牲者のヘモグロビンー一酸化炭素レベル[31] |
||||||||
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犠牲者の年齢 |
|||||||
Hb× CO [%] |
18-30 |
30-40 |
40-50 |
50-60 |
60-70 |
70-80 |
80-90 |
合計 |
40-50 |
- |
- |
- |
- |
- |
7 |
4 |
11 |
総計: |
14 |
4 |
12 |
22 |
19 |
20 |
9 |
100 |
毒物学の研究書が致死レベルとして一般的にあげているのは、60%Hb.COである(グラフ1参照)。表3によると、この濃度だと、全員の4分の1以上が死亡することになる。70%Hb.COまでレベルをあげると、さらにほぼ50%が死んでおり、残りの4分の1が死亡するには、80%Hb.COにまであげなくてはならない。だから、目撃証言にならって、30分以内で、若者、すぐれた心肺機能を持つ健康な人々を含むすべて人々を殺すことができるような効果的なCO処刑ガス室を作りたければ、この部屋は80%Hb.COレベルを作り出さなくてはならない。ガス室の空気の中の0.4%の濃度のCOは、絶対的な最小限であろう(グラフ1参照)。次に、ディーゼル・エンジンがこの濃度を作り出すことができるか検証してみよう。
6. ディーゼル・エンジン
6.1 序論
通常の殺人事件の捜査にあっては、エンジンの形式や大きさについての情報は不可欠なものであるが、不幸なことに、ホロコーストをあつかうにあたっては、詳しい情報は期待できない。エンジンはソ連戦車のディーゼル・エンジンであったという説が多い[32]。詳しい情報を手に入れることができれば問題の解決は容易になるのであるが、そのような情報が欠けているために、既存のディーゼル・エンジンが忌まわしい行為を実行できたかどうかという、広範囲にまたがる、困難な問題を考察しなくてはならない。
もしも、ゲルシュタインが、一酸化炭素はガソリン・エンジンによって作り出されたと述べたならば、彼の話にはもっと信憑性があったであろう。ガソリン・エンジンはもっと簡単に人を殺すことができるし、その排気ガスは無臭であるので、危険性を警告することもない。ディーゼル・エンジンは、普通の人々にはガソリン・エンジンとよく似ているように見えるかもしれないが、実際にはまったく異なっている。ゲルシュタインのような鉱山技師、鉱山調査官ならば、この2つのエンジン形式の違いを簡単に識別できるはずである。たとえば、ディーゼル・エンジンの出す音ははっきりとしているので、少しでも経験があれば、目を閉じていても、誰もが識別できる。
ディーゼル・エンジンのもう1つの特徴は、その排気ガスが悪臭を出しているので、それが稼動していることを明白に示していることである。ディーゼル・エンジンはかなりの悪臭を放っているので、その排気ガスが有害であるとの誤った印象を作り出しているにちがいない。
ディーゼル排気ガスは完全に無害というわけではない。しかし、長期にわたる有害性=汚染――これは、大量殺戮のためのガス室の稼動にはあてはまらない――をのぞけば、実際には、もっとも無害な汚染物質の1つである。ディーゼル排気ガスレベルは、改良や補助装置を行なわずに、合衆国環境保護局の排気ガス基準に適合してきた[33]。ディーゼル・エンジンは1%/vol.以下の一酸化炭素しか生み出さず、それは、すべての内燃機関の標準となっていた。ガソリン・エンジンは、長年の研究にもとづいて、複雑な装置(触媒)を加えたり、エンジンを改良したりすることで、はじめてこの基準に適合した。
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グラフ2:ディーゼルと内燃機関からの一酸化炭素排気の比較[34] |
グラフ2は、ディーゼルとガソリン・エンジンからの一酸化炭素排気を比較している。後者はスパーク着火エンジンとも呼ばれている。一酸化炭素を作り出すもととしてどちらを選択するかといえば、ガソリン・エンジンを選択するのが論理的であろう。スパーク着火エンジン、すなわちガソリン・エンジンからは、簡単に7%/vol.の一酸化炭素を作り出すことができるのに、ディーゼル・エンジンからは、負荷を加えた場合を除いて、液体燃料を使えば、せいぜい0.5%/vol.しか作り出すことはできない。
内燃機関からの一酸化炭素排気は、空気/燃料比もしくは燃料/空気比の関数として決定される。燃料/空気比は、空気/燃料比の相互対置概念にすぎない[35]。自動車産業や環境専門家は、ディーゼル排気ガスのCOレベルを決定するのはおもにこの比であって、rpmのようなその他の要素ではないことを認めている[36]。
たとえば、空気/燃料比100:1は、1ポンドの燃料が燃焼するごとに、100ポンドの空気がエンジンに吸引されることを意味している。しかし、空気/燃料比、ひいてはエンジン形式に関係なく、1ポンドの燃料に対して15ポンドの空気しか化学的に反応しないこともありうる。これは、空気/燃料比100:1であっても、85ポンドほどの空気が反応しないことを意味する。この余分な85ポンドの空気は、まったく化学的反応をしないまま、エンジンから排出される。余分な空気に関するかぎり、ディーゼル・エンジンは、送風機や圧縮機の類にすぎなくなる。
ガソリン・エンジンは通常、空気不足状態で稼動している。この不足のために、ガソリン・エンジンの反応過程は完了しえない。二酸化炭素と比べると、比較的多量の一酸化炭素が形成されてしまうことになる。
ディーゼル・エンジンは空気超過状態で稼動している。アイドリング状態でも、ディーゼル・エンジンは空気/燃料比200:1で稼動している。フル負荷の場合には、空気/燃料比は18:1にまで下がる。空気が豊富にあるので、ガソリン・エンジンに比べると燃料が完全燃焼する機会がはるかに大きく、このために、少量の一酸化炭素しか作り出さない。また、ディーゼル・エンジンのシリンダーで作られる少量の一酸化炭素も、余分な空気によってさらに薄められてしまう。
ディーゼルとガソリン・エンジンの違いを理解すれば、一酸化炭素を作り出すもととして、ガソリン・エンジンを選択するのが論理的であることは明らかである。一酸化炭素を作り出すもととしてディーゼル・エンジンを選択するのは、まったく馬鹿げている。
6.2 分割燃焼室ディーゼル
ディーゼル・エンジンには、基本的に2つの形式がある。分割燃焼室エンジンと非分割燃料室エンジンである。
ディーゼル・エンジンの分割燃料室形式は、さらに予備燃焼室形式と渦流燃焼室形式に分かれる。
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グラフ3:2つの異なった形式、すなわち、予備燃焼室形式(A)と渦流燃焼室形式(B)からのCO排気。[37] |
グラフ3は、分割燃焼室形式のディーゼル・エンジン(エンジンAとB)の排気曲線である[38]。これらの曲線は、1940年代初頭にアメリカ合衆国鉱山局がきわめて丹念、かつ包括的な実験を行なった結果であった。実験の目的は、鉱山労働者を危険にさらすことなく、ディーゼル・エンジンを地下鉱山で使用できるかどうかを判断するためであった37。合衆国鉱山局の結論は、これまで多くの報告に引用されてきているが、エンジンとエンジンを稼動する機械的な装置について鉱山局の承認を受ければ、ディーゼル・エンジンを地下の非石炭鉱山で稼動させることができるというものであった。現在では、合衆国の石炭鉱山でもディーゼル・エンジンは使われている。
グラフ3の下の曲線は、予備燃焼室ディーゼル・エンジンのものであり(エンジンA)、上の曲線は渦流燃焼室ディーゼル・エンジンのものである(エンジンB)。最低の燃料/空気比は、アイドリング、「負荷無し」状態にほぼ対応している。アイドリング状態では、この2つの形式のディーゼル・エンジンはいずれも十分な一酸化炭素を作り出すことができず、30分吸気しても、頭痛すら引き起こすことができない。
これらのエンジンに、燃料/空気比を増やして、負荷をかけ始めると、当初は、一酸化炭素のレベルは下がる。太い縦線が示しているフル負荷の状態に近づいてはじめて、燃料/空気比0.055の状態で、0.1%/vol.という最大レベルに上がっていく。太い縦線は、エンジン製造者の設定する最大安全レベルである。
6.3 非分割燃焼室ディーゼル
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グラフ4:非分割燃焼室(C)からのCO排気[39] |
グラフ4の排気曲線(エンジンC)は、非分割燃焼室ディーゼルがアイドリング状態では約0.03%/vol.の一酸化炭素しか生み出さないことを示している。これでは、30分吸気しても、頭痛すら生じない39。しかし、負荷を増やしていくと、一酸化炭素レベルは急上昇していき、太い縦線の示すフル負荷の状態では、そのレベルは0.4%/vol.ほどにまで達する。言い換えると、この状態でならば、ディーゼル・エンジンは30分間で大量殺戮を実行することができるようになる。
この形式のエンジンおよびすべてのディーゼル・エンジンにとっての難点は、30分という長さでフル負荷で稼動させてしまうと、シリンダー内部に蓄積された固形物によって傷が付く、損傷する危険が生じることである。もっと低く、安全な燃料/空気比0.055(空気/燃料比18:1)以下で稼動させれば、負荷も低くなり、一酸化炭素レベルは劇的に下がる。たとえば、80%の負荷状態――連続稼動の安全最大値とみなされており、そのときの燃料/空気比は0.045ほど(空気/燃料比はほぼ22:1)――では、一酸化炭素レベルは0.13%にすぎない。
グラフ3と4の排気曲線は過去50年間のすべてのディーゼル・エンジンにあてはまる。そのことは、この曲線が今日まで、ディーゼル排気ガスについての多数の雑誌や著作に引用されていることからも証明されている。言い換えれば、ディーゼル排気ガスについてこれ以上優れたデータはない。たしかに、その他多くの実験結果が出ており、Society of Automotive Engineers
Transactionsといった有名な自動車雑誌に掲載されている。しかし、労をいとわず、過去50年間のSociety of Automotive Engineers Transactionsやその他の雑誌を調べれば、一酸化炭素排気レベルの量がエンジンCについてのグラフよりも多くなっている実験結果は存在しないことがわかる。エンジンCについての本小論の分析は、ディーゼル・エンジンの一酸化炭素排気レベルに関してはもっとも多量となっている[40]。
6.4 ディーゼル排気ガスの中の酸素
ガス室の中のユダヤ人が、ディーゼル排気ガスの酸素レベルが下がることで死亡するということはありうるであろうか。酸素不足による死亡という説は、死体が「青味がかって」いたという説とは少なくとも合致している。死体の特定部分が青味がかるのは、COがない場合の、酸素不足による死の兆候である。しかし、この場合には、犠牲者はガス処刑無しでガス室の中で窒息死したことになるのだから、この説も成り立たない。
ディーゼル・エンジンは空気超過という状態で稼動している。通常の空気には21%/vol.の酸素が含まれている。グラフ5は、ディーゼル・エンジン(分割燃焼室と非分割燃焼室)の排気ガスに含まれている酸素濃度である。左側の空気/燃料比100:1(燃料/空気比0.01)の地点が、通常の大気の酸素濃度よりも数%低い18%である41。空気/燃料比18:1(燃料/空気比0.055)のフル負荷状態では、ディーゼル・エンジンの排気ガス中の酸素濃度は4%である。
ヘンダーソンとハガードが酸素レベルの低下の効果、すなわち窒息についてもっとも詳しく検証している。それによると、10%/vol.以下では意識がなくなり、6%/vol.以下では致命的となる[42]。Haldane とPriestleyによると、「9.5%以下しか酸素を含まない空気は30分以内に機能不全を引き起こすであろう。」[43]しかし、機能不全はまだ死亡ではない。
酸素濃度がそれより低くなれば、死亡してしまうし、それよりも高くなれば、生きているというような魔法の数字は存在しない。しかし、酸素不足を凶器とするガス室にあっては、酸素濃度を9.5%/vol.ひいては6%/vol.に下げなくてはならないであろう。そして、酸素濃度の効果はCOレベルにも依存しているのであり、それは、有効CO濃度の箇所で明らかにした相関関係に似ている(第5節)。
グラフ5から明らかなように、ディーゼル・エンジンの排気ガス中の酸素濃度を9%に下げるには、燃料/空気比約0.04(空気/燃料比25:1)、すなわち、フル負荷の4分の3で稼動させなくてはならない。酸素濃度を6%にまで下げるには、フル負荷に近い状態で稼動させなくてはならない。言い換えれば、酸素不足を凶器とするガス室は、フル負荷の4分の3以上の状態でエンジンを稼動させなくてはならないことになる[44]。
以上のことから、ディーゼル・エンジンは、大半の稼動過程では、十分な酸素を放出するので、文字通り純粋な排気ガスを吸い込んでも、そこに含まれている酸素によって生存することができるということがわかる。アイドリング状態から少なくともフル負荷の4分3までのあいだであれば、ディーゼル排気ガスには、少なくとも30分は生命を維持することのできる酸素が含まれている。
6.5 一酸化炭素と酸素不足の複合効果
表4は、最悪の排気数値をもつディーゼル・エンジン形式、すなわちグラフ4のエンジンCの、さまざまな負荷状態での一酸化炭素レベルである。排気ガスの中の酸素濃度は負荷が増すにつれて、低くなるので、すでに前節で設定したように、このことをとくに考慮しておかなくてはならない。排気ガスの中の酸素濃度と空気中の普通の酸素濃度(21%)の関係は前述の因数FO2を作り出すが、毒物学的な有効CO濃度を決定するには、実際CO濃度にFO2を掛けなくてはならない(第5節参照)。
このような作業をすると、30分以内にすべての犠牲者の死亡を保証する、きわめて望ましい有効CO濃度(「0.4ー−0.8%」)を確保することができるのは、フル負荷に近い状態であることがわかる。
表4:ディーゼル排気ガス有効CO濃度[45] |
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負荷レンジ |
燃料/空気(空気/燃料)比 |
酸素濃度
[%/vol.] |
CO最大濃度 [%/vol.] |
FO2 |
酸素濃度21%/vol.のときの有効CO濃度
[%/vol.] |
フル負荷 |
0.055 (18:1) |
4.0 |
0.400 |
5.25 |
2.100 |
重負荷 |
0.04 (25:1) |
8.8 |
0.090 |
2.40 |
0.220 |
部分的負荷 |
0.029 (35:1) |
12.0 |
0.075 |
1.75 |
0.130 |
軽負荷 |
0.0167 (60:1) |
16.0 |
0.050 |
1.31 |
0.066 |
アイドリング |
0.01 (100:1) |
18.0 |
0.060 |
1.17 |
0.070 |
6.6 エンジン負荷
エンジンに実質的な負荷をたんに課すことは、容易なことではない。トラックを例にとれば、まず、トラックに荷物をいっぱい積み込み、ついで、アクセルを床まで踏み込んで、最大速度で険しい丘を登るのである。この場合、トラックのエンジンが非分割燃焼室形式ディーゼルであれば、排気管から0.4%/vol.のCOを引き出すことができるであろう。しかし、トラックが車道に停車していれば、エンジンにかなりの負荷をかけることはまったく不可能である。ギアをニュートラルに入れてエンジンを「ふかし」ても、せいぜい数%の負荷しかかけられない。クラッチをすべらして、アクセルを踏み込めば、少しは負荷をかけられるかもしれないが、すぐにクラッチが焼けてしまう。車の後部をジャッキで持ち上げて、ブレーキをかけながらエンジンをふかせば、もっと負荷をかけられるかもしれないが、ブレーキがすぐに焼けてしまうであろう[46]。
現実的にエンジンにかなりの負荷をかけるには、ブレーキ動力計や発電機のような装置を付けることである。
ブレーキ動力計はすでに実用化されており、ドイツ人も数多く持っていたにちがいないが、今日でも、普通の自動車修理工場では見つけることができない装置である。設備の整った実験作業場にあるだけである。大量生産されていないので、エンジンそのものよりはるかに高価である。
発電装置のほうがありそうである。トレブリンカやベルゼクは、電流の通った鉄条網のフェンスや電灯を維持するためだけであったとしても、電力を必要としていたし、この当時、これらの収容所があった東ポーランドの田舎は、発電所につながっていなかったからである。しかし、このようなやり方は、発電機とディーゼル・エンジンが常時稼動していることを前提としており、それはゲルシュタイン陳述とは矛盾している。彼の陳述では、エンジンはガス処刑のためだけに始動したからである。彼の陳述には、ユダヤ人殺戮という目的以外にエンジンが使われたことをほんの少しでも示唆している箇所はない。もしも、処刑と同時に、発電機を稼動させるというような二重の目的をもっていたとすれば、ガス処刑がはじまると、電灯がついたというような話が出てきそうであるが、そのような話もまったく存在しない。トレブリンカ収容所の目撃者は、「ガス処刑用のディーゼル・エンジン」のある同じ建物には、これとは別に、電力を収容所に供給する第二のエンジンが存在していたと述べている[47]。言い換えれば、これらの話は、発電機が毒ガスの生産のために使われたとされているエンジンとは関係がなかったことを明らかにしており、毒ガスエンジンの話は、このエンジンが常時稼動していたとは述べていない。逆である。エンジンの始動についての話によると、その運転手に対する始動命令は「イヴァン、水!」であったというし(トレブリンカ)、ベルゼク(「ヘッケンホルトの建造物」)での同じような事件が、ゲルシュタイン陳述にあるだけではなく、目撃者の話の中心テーマとなっている。
アウシュヴィッツ中央建設局の文書資料によると、SSは、公共ネットワークからの電力供給が絶たれた場合の備えとして、収容所に緊急発電装置を設置しており、その装置とは、440馬力で250kWの発電機を動かすディーゼル・エンジンであった[48]。言い換えると、証人たちは、トレブリンカが公共ネットワークからの電力供給を受けていなかったので、そこでは電力装置が常時稼動していたこと、これらのエンジンは、必要なときにしか稼動しないガス処刑用のエンジンとは別に稼動していたことを暗黙のうちに証言しているのである。また、この物語には間違った点がある。専門的知識をもつ者であれば、ガス処刑のために別個のエンジン、とくに、故障した場合には修復不能なロシア軍戦車のエンジンを使う代わりに、すでに、負荷状態の下で稼動している発電機のエンジンの排気ガスを利用するはずだからである。
6.7 人為的酸素不足
エンジンへの空気の供給を「止める」ことによっても、エンジン負荷と同様の効果を得ることができる[49]。Pattleその他は、自分たちの毒物学的な研究では、この方法で、負荷状態にあるディーゼル・エンジンをシュミレートした。停止状態でエンジンにかなりの負荷をかけるには、装置が必要であり、費用がかかるからである。アイドリングか軽負荷状態でエンジンを稼動しても、すべての実験動物はCO中毒とはならなかった[50]。しかし、空気の供給を制限すれば、エンジンの始動は困難となり、始動しても、着火は不安定となった。暖機運転後にやっと安定して稼動した。排気ガス中のCO濃度は0.22%/vol.基準数値を超えなかった。実験的ガス室を繰り返し排気ガスで清掃したのち、40匹のネズミ、4匹のウサギ、10匹のギニア豚を排気ガスにさらした。CO中毒になるまでには3時間20分かかった[51]。
この実験での殺害時間は、エンジンの吸気が暖機運転後にさらに減らされれば、減少したかもしれない。しかし、ガスが流れ込んでから30分以内に、すなわちこの実験よりも7倍ほど短い時間の中で動物を殺すには[52]、CO濃度は少なくとも0.4%に増えていなくてはならない。だが、個のようなことを達成するために、吸気を大量に減らしてしまえば、着火に否定的な影響を与えてしまい、終には、エンジンは停止してしまうことであろう。したがって、吸気を減らすのも、問題の本質的解決とはならない。
表4が明らかにしているように、この動物実験でのガス処理で使われ、それ以上はあげることのできなかった0.22%のCO濃度は、21%/vol.の酸素のもとでの、すなわち。フル負荷の下の数値での稼動のもとでの0.77%/vol.の有効CO濃度に対応している。前述した理論的分析にもとづけば、この高い濃度でならば、30分以内にすべての動物を殺すはずであった。しかし、54匹の実験動物すべてが死亡するには3時間20分かかったのである50。つまり、0.77%/vol.の有効CO濃度が常に保たれていても、30分以内にすべての犠牲者を殺すことはできないということになる。
6.8 ディーゼル煙
ディーゼル・エンジンの1つの特徴は、とくに空気/燃料比が低いときには、煙を吐き出すということである。これはディーゼル・エンジンの効率が低いためではない。逆に、ディーゼル・エンジンの効率は一般的にきわめて高い。煙は、ディーゼル・エンジンの燃焼方式がガソリン・エンジンとは異なっていること、重油を使っていることによって発生する。
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グラフ6:1時間にエンジンから排出される液体と固体、測定された煙[53]。燃料/空気比0.055(空気/燃料比18:1)を示している太い縦線は著者が付け加えた。 |
グラフ6の太線は、製造元がエンジンの過度の疲労を防ぐために必要とみなしている煙の限界を示している。実際問題として、液体燃料を使うディーゼル・エンジンは、グラフ3と4の垂直線(燃料/空気比0.055=空気/燃料比18:1)の右側では稼動できない。煙固形物が蓄積して、短時間でエンジンを破壊し、エンジンは停止してしまうからである[54]。製造元の大半はきわめて慎重であるので、限界燃料/空気比を0.050以下に設定している。
ディーゼル・エンジンが燃料/空気比0.055(空気/燃料比18:1)以上でも安全に稼動できるのは、純粋ガス燃料を燃焼する場合だけである。これだけが、シリンダーのなかに固形物が形成されることを防ぐことができる。縦線の右側にあるデータは推測にすぎない。合衆国鉱山局の研究者たちは、各エンジンの通常の(製造元推奨の)フル負荷状態を超えた状態で、ガス燃料使って理論的な数値を分析しようとしたからである[55]。もしドイツ人がディーゼル・エンジン用のガス燃料、たとえば、純粋のCOをもっていたとしても、純粋ガス燃料のデータはここでの分析には不適切である。もしもっていれば、このガスをガス室に直接送り込めばすむことだからである。ディーゼル・エンジンをそのあいだにはさむことはまったく無意味である。そのようなやり方を採用すれば、ガスの毒性が低下するだけである。一酸化炭素はかなり可燃性が高いので、ディーゼル・エンジンに送り込まれた一酸化炭素は、エンジン内部で消費されてしまうであろう。
ディーゼル煙には液体状のものと固体状のものがある。液体状のものは排気ガスとともにエンジンから排出され、エンジンにはまったく害を与えない。しかし、かなりの量の固形物が急速に作り出されると、それはシリンダー内部に蓄積し、数分間でピストンリングや弁を傷つけ、エンジンが破壊・停止する原因となる。ディーゼル・エンジンの作り出す固形物は、空気/燃料比18:1のすぐ下のところ(燃料・空気比>0.055)で劇的に増大する。このために、製造元は、エンジンが18:1以上か20:1(0.055以下か0.055)で稼動できるように、燃料噴射装置をつけている。
特別な設計様式や形式にかかわらず、推奨されている最大負荷の状態でディーゼル・エンジンを稼動すれば、かなりの量の煙が作り出されることになる。一般的に、煙は、エンジンが通常の稼動温度に達していない、始動直後や、ひいてはアイドリング状態、軽負荷の状態で顕著になる。
Pattleその他は、半負荷以下の状態で稼動するエンジンは0.22%/vol.のCOを発生すると同時に、極度に刺激的で、目を突き刺すような煙を作り出すことを発見している。それが、パイプを介してガス室に送り込まれれば、室内は、自分の足元も見えない状態となるであろう50。
ゲルシュタイン陳述やその他の戦後の法廷証言に、黒色であれ、白色であれ、濃いものであれ、薄いものであれ、ディーゼルからの煙のことがまったく言及されていないのは、まったく驚くべきことである。ガス室に閉じ込められたとされるユダヤ人はこの刺激臭に忍耐強く耐えていたと信じることができるのだろうか。
6.9 アルデヒド、二酸化硫黄、酸化窒素、炭化水素
ディーゼル排気ガスには、一酸化炭素以外の汚染物質が含まれている。おもに、アルデヒド、二酸化硫黄、一酸化窒素、炭化水素である。ディーゼル・エンジンの悪臭の原因は、炭化水素とアルデヒドの残余物であるが、最新の分析技術を使っても、それらを検知、ひいては測定することができない。実際に含有されている量はごく少量であるけれども、人間の嗅覚はこれらの物質に対しきわめて過敏である。排気ガスに含まれている炭化水素は発ガン性であり、長期的には危険であるが、本小論では研究対象とならない。
排気ガスの中の二酸化硫黄濃度は、硫黄を含む燃料を使えば、かなり高いものであり、刺激性で、呼吸困難を引き起こすこともあるが、その刺激性は、本小論が研究対象としている時間の枠内では、人命にかかわるものとはなりえない。
二酸化窒素は、高い濃度で存在していれば、1時間の吸気で肺気腫を引き起こすが、それが致命的となるのは約24時間以後のことである[56]。低い濃度の二酸化硫黄を短時間吸い込んでも、肺や粘膜のただれを引き起こすだけであり、ここで、そのことをこれ以上考察する必要はない。一方、一酸化窒素はCOと同じような生理学的症状を引き起こす[57]。しかし、COとは異なり、その濃度は、燃焼過程では、すなわち高い負荷の状態では、酸素濃度の低下とともに低くなり、健康を害するようなレベルには達しない[58]。さらに、一酸化窒素はすぐに二酸化窒素に変わってしまう[59]。だから、一酸化窒素が排気ガスの中で一酸化炭素の効果を高めてしまうのは、ごくわずかのことにすぎない。
酸化窒素がオゾン形成効果を持っていること、ディーゼル排気ガスが発ガン物質を持っていることが、最近、ディーゼル・エンジンが厳しい排気ガス規制の対象となっている理由である。人間の呼吸作用に危険を及ぼすと考えられている。このために、ディーゼル排気ガスがもたらす健康被害についてのドイツでの研究は、煙固体と非燃焼炭化水素の割合の分析にほぼ限られているのである[60]。
6.10 二酸化炭素
ユダヤ人が一酸化炭素によっても、酸素不足によっても殺されたのではないとすると、二酸化炭素の影響で死んだのであろうか。二酸化炭素は普通の水よりも毒性を持っていない。毒物学のテキストの多くには、二酸化炭素は登場していない。登場しても、「非毒性、たんに窒息状態をもたらす」と分類されている。二酸化炭素が直接関与する偶然の死亡事故もある。この場合、死因は酸素不足である。二酸化炭素は酸素よりもはるかに重く、とくに、閉ざされた空間では、酸素を押しのけてしまう。溺れている人の肺の中で、水が空気を押しのけてしまうのと同様である。このため、酸素不足が起こる。どちらのケースでも、実際の死因は二酸化炭素でも水でもなく、血中の酸素不足である。この種の死亡の症状は、皮膚が青みがかることである。
二酸化炭素は、役に立ち、治療に使われることがある[61]。呼吸を促す無害な刺激物として医療で広く使われている。このために、酸素と7%/vol.の二酸化炭素を含む圧縮ボンベ(Carbogen)で供給される[62]。通常、人が息を吐き出すと、肺の中に残っている空気には5.5%/vol.ほどの二酸化炭素が含まれている。
何日間も3%/vol.の二酸化炭素の中にいても、大丈夫である。たとえば、1950年代に合衆国海軍は、潜水艦内部で使うために、3%/vol.の二酸化炭素と15%/vol.――普通の空気よりも酸素が25%少ない――の混合空気で実験しているが、それはその中で数週間も過ごすものであった[63]。
グラフ5が示しているように、ディーゼル・エンジンの二酸化炭素レベルは、アイドリングかそれに近い状態で2%/vol.で、次第に上昇していって、フル負荷の状態で12%/vol.ほどに達する。12%/vol.の二酸化炭素レベルは、心臓の不規則性を引き起こすので、心臓の弱い人には危険かもしれない[64]。ディーゼル・エンジンとは対照的に、ガソリン・エンジンはアイドリング状態ですでに12%/vol.の二酸化炭素を作り出している。一般的にいえば、十分な酸素があれば、12%/vol.の高さの二酸化炭素レベルでさえ、死を誘発しない。危険とされているのは、20−30%の二酸化炭素レベルである[65]。しかし、排気ガス中の二酸化炭素レベルが12%/vol.にまで高いときには、酸素レベルは危険なほど低い。
ディーゼル排気ガスが生死にかかわるほど危険となるのは、副次的な構成要素からではなく、厳密には、COと酸素不足の複合効果からである。
7. ディーゼル・ガス室の作動
7.1 毒ガス濃度
ディーゼル・エンジンの排気管がガス室につなげられているとすると、当初、一酸化炭素の濃度はきわめて低く、酸素レベルは高いであろう。(ガス室のドアは、すでに殺されている犠牲者を除去して、次の犠牲者集団を部屋に入れるために開いており、新鮮な空気も入ってくるからである。)ディーゼル・エンジンが始動すると、ディーゼル排気ガスがガス室を満たしていき、一酸化炭素レベルはディーゼル・エンジンの排気管の中と同じレベルにまで次第に上昇していくが、そのレベルを超えることはない。
ゲルシュタイン陳述からは、ガス室のCO濃度が排気ガスのCO濃度と同じレベルに達するのに、どれくらいの時間がかかったのか判断することができない。ゲルシュタインは、ベルゼクのエンジンと「ガス室」について詳しい情報を提供していないからである。
トレブリンカについては、少々詳しい情報がある。ガス室に関して今日まで発表されている目撃証言は、多数存在する。その中身には矛盾があるけれども、トレブリンカの2つのガス室建物は10室で構成されていたことになっている。その部屋は長さ8m、幅4m、高さ2m、10室合計面積320u、容積640㎥であったという。そして、それらの部屋にガスを供給したのは、3886
ℓccの1つのロシア軍戦車のエンジンであったという[66]。この320uのスペースに最大で3200名が収容された[67]。身体の平均容積を75ℓとすると、これらの人々は240㎥のスペースを占め、400㎥ほどが空気のスペースとなる。
当時のロシア軍戦車のディーゼル・エンジンの最大回転数は2000rpmであった[68]。4サイクル・エンジンは、2回ごとにシリンダーの中身を排出するので、この回転のエンジンは、1分でそのccの1000倍の排気ガス、すなわち38.86㎥を室内に送り込む。それゆえ、10分少々すると、排気ガスは1回だけ、ガス室の全容積と取り代わることになる。目撃証人は、ガス室が気密状態であったと述べているが47、余分なガスを逃がすための開口部があったにちがいないので、それはありえない[69]。しかし、新鮮な空気だけが穴や裂け目から逃げていくわけではない。ディーゼル排気ガスも逃げていく。また、犠牲者も呼吸によっていくらかの一酸化炭素を消費するであろう。したがって、排気ガスで部屋を満たすには、部屋の2倍の容積の排気ガスが必要であろう。だから、2000rpmの状態では、部屋のCO濃度は、ガス処刑がはじまって20分たっても、排気ガス自体のCO濃度には達していないであろう。吸気を減らすことで排気ガスのCO濃度を0.24%/vol.としたとしても、部屋の平均CO濃度は、0.12%/vol.である[70]。0.24%/vol.のCO濃度となるのは、せいぜい30分間のガス処刑時間のうちの最後の10分であろう。しかし、最初の20分の平均0.12/vol.とそのあとの10分の0.24%/vol.のCOでは、人間を殺すには不十分である。
前述した動物実験50では、最初の0.22%/vol.のCO、酸素不足を考慮した0.77%/vol.のCOでは、実験動物すべてを殺すのに3時間20分かかった。だから、合理的に考えれば、次第にCO濃度をあげていって、人間を殺す同じようなガス処理では、「ガス室」の中に閉じ込められている人々の大半は、1時間、ひいては2時間たっても生きているであろう。大失敗となる。
7.2 騒音と振動
煙と悪臭に加えて、ディーゼル・エンジンは騒音と振動の点でも悪名高い。ディーゼル・エンジンの作り出す振動は、高い圧縮比、低いrpm、燃焼様式のために、同じような大きさのガソリン・エンジンと比べても、はるかに大きい。ディーゼル・エンジンが乗用車に使われないのは、この騒音と振動のためでもある。
ソ連のT 34戦車の550馬力12気筒V型ディーゼル・エンジンを小さな建物の床に設置し、フル負荷の4分の3、すなわち375馬力以上で30分間稼動させれば、嘆き悲しんでいるユダヤ人であっても、誰もがその騒音と振動に気づくはずである。しかし、ゲルシュタイン陳述にも戦後の法廷証言にも、この騒音と振動についてはまったく触れられていない。
7.3 大量殺戮のためのディーゼル?
ディーゼル・エンジンの基本的特徴を専門的に理解していなければ、大量殺戮の安易な方法として考えつくのは、ディーゼル・エンジンを建物の床の上に置き、エンジンに人為的な負荷をかけることもせず、隣の部屋の排気ガスを直接送り込むことであろう。このようなやり方は、犠牲者集団をひどく狼狽させるかもしれないが、彼らには頭痛以上の悪い症状は起らない。頭痛が起るのも、悪臭、煙、騒音のためであり、一酸化炭素や酸素不足によるものではない。このようなやり方は、大量殺戮手段としては、大失敗であろう。
ディーゼルを使った装置を大量殺戮のために少しでも役立てようとすれば、必要なことを熟知・実行できる専門家集団が必要となる。こうした集団は、ディーゼル・エンジンの一酸化炭素排気曲線、酸素排気曲線について知っていなくてはならない。このような知識をもっている技術者は今日でも少ないであろう。ディーゼル・ガス室の設計者は次のようなことも知っておかなくてはならない。1)エンジンのフル負荷の4分の3以上の負荷をかけ、それを維持する方法、2)同じ効果を出すために、特定のエンジン負荷程度と人工的な酸素不足を結び合わせる方法。彼らが、エンジンに負荷をかけすぎたり、フル負荷に近い状態で長時間稼動させたとすれば(フル負荷の80%以上は、常時稼動では安全ではないと考えられている)、ガス処刑のたびごとに、エンジンをオーバーホールしたり、エンジンの煙による損傷のために、エンジンを交換しなくてはならない。人為的な負荷をかけたり、維持する装置などを集めたり、組み立てたりするだけでも、たんなる自動車整備工ではなく、経験豊かな専門家を必要とする大作業である。500馬力ものエンジンを建物の床に設置するにも、振動によって建物に損傷を与えないようにするために、振動を緩和するような土台が必要である。
一番重要な疑問点は、ディーゼル・ガス室を稼動させるにあたって、必要なことを熟知・実行できる専門家がいたとしても、彼らがわざわざディーゼル・エンジンをまず選択した理由である。一生懸命努力してガス室を作ったとしても、大量殺戮という任務を果たすには、たいして効果的ではなかったであろう。一生懸命努力したとしても、平均0.4%/vol.以下の一酸化炭素と4%/vol.以上の酸素を作り出しただけであろう。どのようなガソリン・エンジンを使ったとしても、フル負荷状態の同じ大きさのディーゼル・エンジンの10倍の一酸化炭素を、特別な装置無しのアイドリング状態で作り出すことができたであろう。このようなことは、技術者ならば全員が知っていた。どのようなガソリン・エンジンを使ったとしても、7%/vol.の一酸化炭素と1%/vol.以下の酸素を簡単に作り出したであろう。キャブレターをいじくり、小さなねじ、すなわち混合気調整ねじをひねっただけで、12%/vol.の一酸化炭素さえも作り出すことができたであろう。アイドリング状態、軽負荷状態で2つのエンジンを比較すると、その相違はもっと劇的である。アイドリング状態、軽負荷状態では、どのようなガソリン・エンジンを使ったとしても、同じ大きさのディーゼル・エンジンの100倍の一酸化炭素を、簡単に作り出すことができたであろう。
以上のような根拠だけからも、ディーゼル・ガス室物語は信じがたい。しかし、ドイツ人は、ガソリン・エンジンよりも簡単に、一酸化炭素を入手する方法を持っていたことを知ると、この物語はさらに信じがたいものとなる。これには、ディーゼル・エンジンもガソリン・エンジンも必要ではなかった。
8. 車両に搭載されていた50万の毒ガス発生器が大量殺戮にはまったく使われなかった!
第二次世界大戦中、ヨーロッパ諸国の多くは、非軍事的な乗り物輸送の分野で、ガソリン・エンジンもディーゼル・エンジンも使わず、木材、コークス、石炭のような固形燃料を燃やす車両にかなり依存していた。多くは木材であったが、固形燃料は、普通車両の後部に搭載されていたガス発生器の中で燃やされることによって、可燃性ガスの混合気となった。このガスは、ガス発生器からエンジン吸気によって排出され、車両前部にある改造ガソリン・エンジン、ディーゼル・エンジンのなかで燃焼した。この可燃性ガスには普通、18%/vol.から35%/vol.の一酸化炭素が含まれていた。しかし、ほぼすべてのCOはエンジンで消費されるために、排気ガスには0.3%/vol.以上のCOは含まれていなかった[71]。
ヨーロッパのドイツ語圏では、これらの車両は「ガス発生車(Generatorgaswagen)」もしくはたんに「ガス車(Gaswagen)と呼ばれていた。木材を燃やしている場合には――大半がそうであったが――、「木材ガス車(Holzgaswagen)とも呼ばれた。英語圏では、これらの車両は、一般的には「ガス発生車(producer gas vehicles)と呼ばれた。しかし、発生するガスはきわめて毒性の高いものであったので、「毒ガス車」と呼んでも間違いではなかった。これらの車両を操作するには、特別な安全手順とともに、その運転手には政府公認の訓練と免許が必要であった。ドイツ占領下のヨーロッパでは、数十万のこのような運転手が、毎日これらの車両を運転していた[72]。
ガス発生車の運転手は、次のようなガイドラインを熟知し、それを守り、手元においておかなくてはならなかった。[73]
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写真1:典型的なガス車。もともとは普通のバスであったが、ガス発生器とザウラー・エンジンを取り換えた[74]。 |
「ガス発生車の安全ガイドライン
1942年11月28日。
ガス発生器からのガスには35%までの一酸化炭素が含まれている。一酸化炭素は、それを吸い込めば、0.1%/vol.以下の濃度であっても致命的である。このために、とくに着火のとき、詰め替えのときには、中毒の危険がある。
ガス発生器を始動させたり、詰め替えたりするのは戸外でなくてはならない。不必要に、送風機の近くをうろついてはならない。ガレージの中でエンジンを稼動させてはならない。
監督者と運転手の責任
ガス発生器を使用する者はすべて、安全で秩序正しい必要手順を学び、それを守らなくてはならない。製造元の作業指示は厳格に守らなくてはならないし、車両の中においておかなくてはならない。さらに、これらの安全ガイドラインも、それぞれのガス発生車のための、車両文書とともに保管されていなくてはならない。[…強調は原文どおり]」
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写真2:ガス発生器を備えたザウラーBT4500[75] この形式に似たザウラー社製のトラックが大量殺戮のためにクルムホフ/チェルムノで使われたという。しかし、それはガス発生装置を備えた車両ではなかった。その排気ガスで殺戮したというが、信じがたい87。 |
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写真3:ガス発生器を標準装備したアストロ・フィアット4D90A。75 |
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写真4:ザウラー社製のもう一つの戦時中のドイツのガス発生車(形式5BHw)。 |
液体燃料は、少なくとも戦時中には、可能なかぎり軍事用に確保しておかねばならなかった。しかし、この毒ガス技術は、平和が戻ってきたときにも役に立ったであろう。ヒトラー自身もガス発生技術の発展に関心を抱いていたが、そのことは、メルセデス・ベンツの石炭ガス発生器を備えたメルセデス・ベンツ重貨物自動車が披露されたときの、ヒトラー演説からも明らかである。[76]
「この種の車は、戦後にも特別な意義を持つであろう。現代はモータリゼーションの流れに向かっているが、わが国は余分な液体燃料を持っておらず、いつも輸入に頼っている。国内で燃料が確保されれば、わが国の国民経済にとって恩恵となるであろう。」
すでに、1941年秋には、15万台のガス発生車がドイツでは使われており、ドイツの支配地区では、この燃料への転換が行なわれたために、1月4500万リットルほどの液体燃料が節約された。その目標は、「すべての必要燃料をドイツ国防軍のために確保すること」であった[77]。戦争末期までには、ドイツ占領下のヨーロッパで使われていたガス発生車の総数は、50万台以上に達した[78]。
1942年5月30日、帝国元帥ゲーリングは、自分の4カ年計画のために「ガス発生器中央局」を設立したが、その目的は次のようなものであった。
「ガス発生器生産を加速すること、現在の燃料事情にもとづいて新しい形式を決定すること、ガス発生器のための新しい固形燃料を開発すること、適切な準備過程、低温の一酸化炭素化などを開発すること。」[79]
ゲーリングは次のように述べている。[80]
「ドイツ、占領地域、従属国をできるだけ速やかに液体燃料から自立させるという、私の布告についての説明に触れている。そして、ガス発生器の使用を増やすことによって行なわれている中央局の努力を強く支持するように求める。」
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写真5:イムベルト・ガス発生器は第三帝国でもっとも広く使われたガス発生器であった。1943年、ケルン組み立てラインでの大量生産。[81] |
戦争の長期化につれて、固形燃料への転換はますます焦眉の課題となった。1942年9月22日、軍需大臣シュペーアは、ドイツ占領下全域の中型貨物自動車、重貨物自動車、乗り合いバスすべての転換を命じた[82]。1年後、1943年9月13日の軍需省修正は、すべての例外をなくした。すべての民間車両の転換は義務となった[83]。戦後、ドイツの石油生産についての長い報告の中で、合衆国戦略爆撃調査団は、最良のドイツ軍戦車のいくつか、50台のケーニヒス・ティーゲルでさえも終戦直前には発生ガスで稼動していたと述べている[84]。
ドイツ占領下のヨーロッパでは大量のガス発生車が使われていた。さらに、ドイツ人は、このガス技術を使った新しい車両を熱心に開発していた。この事実はホロコースト物語全体の土台を掘り崩している。ドイツ人が一酸化炭素を使って大量殺戮を行なおうとしていたとすれば、彼らは、ディーゼル排気ガスのような馬鹿げた代物を使うまえに、このすぐれたガス技術を使うにちがいないからである。
「ユダヤ人問題の全面解決」とはすぐれて輸送問題であった。アイヒマンその他の「輸送専門家」は、この車両とその特性を熟知していたにちがいない。たとえば、ガス発生器には、小さな電気モーターか手動で操作される始動送風機がついている。この送風機の排気口にホースのようなものをつけて、毒ガスを地下室や宿舎、牢獄に流し込むことは驚くほど簡単である。しかし、大量に存在するホロコースト文献には、そのような技術はまったく登場していない。
一方、第三帝国では、ねずみその他の害虫をガス処理するために、きわめて毒性の高い一酸化炭素を排出するガス発生技術が使われていた。第三帝国の公共衛生文献によると、ノッホト・ギエムザ(Nocht-Giemsa)社の製造・提供した燻蒸技術は、「広く普及して」いた[85]。しかし、この非常に実際的で、効果的で、単純で安価な技術を人間に使おうと考えたものは誰もいなかったのである。
したがって、恐るべきSS隊員たちは信じがたいほど馬鹿であるか、技術的にまったくの無能であるかということになる。否、ディーゼル・ガス室物語がまったくの虚偽であるという方が正しいであろう。
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写真6:クロマグの生産した戦時中のドイツのガス発生器 |
9. 大量殺戮のためのガス車
9.1 チェルムノのディーゼル車
ガス発生車は、チェルムノでや、ロシアの特別行動部隊によって使われたとされている「ガス車」と同じものではない。もっとも、皮肉なことに、双方の車両の用語は同じことがあるが。これまで提出されてきた「証拠」によると、「ガス車」は通常の重貨物自動車であり、アイドリング状態で放出されるディーゼル排気ガスが致死性ガスとして使われたという。一般的に、「ガス車」物語は、IMT資料PS-501として知られる奇妙な文書にもとづいているが、この文書は私の科学的な見解では偽造文書である。それは、SS少尉ベッカーからSS中佐ヴァルター・ラウフあての、とくに意味のない手紙にもとづいている。この手紙は、その使用目的の知られていないS−車両[86]の改造に触れている。この手紙は、書き換えられ、いくつかの中身の修整が行なわれて、犯罪を証明しているような文書となっている。さらに、この「資料」にはいくつかの異なったバージョンがあり、本書のヴェッカート論文で批判的に検証されている[87]。
9.2 ディーゼル物語の起源
ディーゼルによる殺戮の起源は1943年のソ連の宣伝にあるであろう。その直前、ドイツはカチンの虐殺を発見しており、ソ連が無実の人々を容赦なく殺す殺人者であることを暴露していた。さらに、ドイツは、国際的に著名な法医学者を招待して、彼らにカチンの犠牲者の検証をゆだねた[88]。
ソ連は、カチン事件でドイツにやり込められたことに復讐しようとして、数ヵ月後に、ハリコフとクラスノダルで見世物裁判を開いた。この裁判では、不運なドイツ人捕虜が「自白」した。しかし、ソ連は、虐殺現場にソ連人ではない専門家が立ち入ることを認めなかった。この裁判の冒頭で、ソ連は、ドイツが民間人を田舎に追い立てて、ディーゼル・トラックに押し込んだと非難した。犠牲者を収容したトラックが停車すると、ディーゼル排気ガスがパイプを介して内部に流し込まれ、犠牲者はそのすぐあとに死んだという。
このシナリオでは、ディーゼル・エンジンはアイドリングよりも少し高めの状態で稼動したことになっている。このような状態でのCO濃度は、30分では、頭痛を引き起こすのにも十分ではないだろう。
これらのトラックのうちいくつかは、ザウラー社が製造したことになっている87。まったく皮肉なことであるが、ザウラー社はすでに戦前から、もっとも効率的で優秀なガス発生トラックの製造元だったのである。戦時中、このスイス・オーストリア系企業は、重貨物自動車市場で、やはりガス発生車を製造していたメルセデス、オペル、フォードを圧倒していた。戦時中、6000台以上のザウラー社製トラックが生産され、そのすべてではないとしても、大半が、ガス発生器とディーゼルで稼動していた。ほとんど技術的知識をもたない人物が、燃料自体が1000倍も致死的な毒性を持っているときに、わざわざこのトラックの排気ガスを殺人のために使おうとしたのであろうか。まったく馬鹿げた話である。
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写真7:オストマルクのガス発生器のデザイン。 |
ソ連崩壊期に作成され、1993年に合衆国でも放映されたテレビ番組は、ガス車物語がソ連起源であることを明らかにしている。4部構成の番組のタイトルは「怪物:血に飢えたスターリンの肖像」であった。第2部「スターリンの秘密警察」の一場面で、KBG将校アレクサンドル・ミハイロフは、ガス・トラックがイサイ・ダヴィドヴィチ・ベルク――筆者とはまったく関係がない――によってモスクワで発明され、戦争の数年前からすでに使われていたと述べている。ミハイロフによると、これがヒトラーのSSとゲシュタポのモデルとなったという。気密トラックは高濃度のCOを使っていたと思われるが、ディーゼル・エンジンの話はまったく出てこない。戦前のソ連のトラックはすべてガソリン・エンジンであったので、このことは理解できる。ソ連の交通システム全体は、フォード自動車会社のような西側のエンジン形式にもとづいていたので、ディーゼル・エンジンは存在しなかった。多分、ガス・トラックというソ連側の告発は、ソ連自身の大量殺戮技術のもとづいており、それをもっと犯罪的にするために、とくに、その起源を「よりドイツ的」にするために、その話にディーゼル・エンジンを付け加えたのであろう。
ガス車物語は、ホロコースト宣伝家が、まったく犯罪目的ではないガス発生車に関する資料を利用して作り上げられたものであり、もちろん、戦後に登場した「目撃」証言がそれを支えた。まさに、ガス車物語は、より大規模なホロコースト物語が進化していくプロセスの細密画なのである。
10. 石炭、空気、水の上に建設された帝国
ドイツは、ガス発生技術に加えて、もっとも先進的な石炭ガス化技術も持っていた[89]。石炭ガス化行程の最初のステップは、石炭から一酸化炭素を作り出すことであった。そのあと、燃料としても、他の産物を合成する媒介物質としても、一酸化炭素を利用することができた。
「戦時中のドイツは、石炭、空気、水の上に建設された帝国であった。航空燃料の84.5%、自動車燃料の85%、ゴムの99%以上、濃縮硝酸――爆薬の基本素材――の100%、メタノールの99%が、石炭、空気、水という3つの材料から合成された。…石炭を発生ガスに変えるガス化施設が、この工業システムの中心であった。」[90]
ドイツは石油と天然ゴムの産地から隔たっていたので、すでに第一次大戦中に、炭化水素を代替燃料とするように産業を転換しており、合成液体燃料、合成ゴムなどの各種の化学物質を利用していた。この技術の一環として、数百万トンの一酸化炭素が生産されており、それはヨーロッパの全人口を何回も殺戮できる量であった。
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写真8:ドイツの戦時中のガス発生バス。 |
写真9:ガス発生技術のための、戦時中のドイツで広まっていたロゴ。 |
石炭ガス化プラントは、ドイツの工業地帯すべてに存在した。このようなプラントがいくつも存在したのはシレジアであった。ここでは、1世紀以上も、大量の石炭がこの地方の産業の土台であった。そのシレジア出身の企業の1つが、アウシュヴィッツのI.G.ファルベン・プラントであった。そこで生産されるごく一部の一酸化炭素を、小規模なパイプラインを使って、わずか数マイル離れたアウシュヴィッツ・ビルケナウに運ぶことはごく簡単であったであろう。しかし、アウシュヴィッツは一酸化炭素を使った大量殺戮を行なうにあたって、理想的な場所であるにもかかわらず、そこで一酸化炭素が使われたと主張する人は誰もいない。ドイツは、アウシュヴィッツで大量殺戮を行なうにあたって、チクロンBというまったく異なった物質を使ったということになっている[91]。
11. 学問的逃避行動の失敗
ほぼ15年間にわたって、ホロコースト物語では、驚くほどの逃避行動が行なわれてきた。ホロコースト「研究者」の著名なグループが、ディーゼル説を「放棄」して、エンジン形式については触れないか、ガソリン・エンジンであったと論じている。1983年にドイツで出版された『毒ガスを使った民族社会主義者の大量殺戮』[92]は、この驚くべき変質を行なっている。この本は1980年代前半、ホロコースト神学を代表しており、ロンドンの世界ユダヤ人会議の推薦を受けていた[93]。
この本は、きわめて粗雑な資料操作を行なっている。っ問えば、ゲルシュタイン陳述は4回もディーゼル・エンジンに言及しているのに、修正主義者を決定的に反駁するとして引用されている箇所には、ディーゼル・エンジンはまったく言及されておらず、ひいては処刑手順すら言及されていない[94]。ゲルシュタインが目撃したという処刑手順については、この本は、プファンネンシュティール博士の戦後の証言の一部を引用しているだけである。この証言は、ディーゼル・エンジンの使用については言及しておらず、たんにディーゼル燃料を使ったとだけ述べている[95]。もちろん、どのようにして、ガソリン・エンジンをディーゼル燃料を使って稼動させるのかについては、想像にまかせるしかない。どのようなガソリン・エンジンでも、ディーゼル燃料では動かない(逆も真)、というのが事実である。
この中間的な非ディーゼル説の致命的な欠点は、死体が「青味がかっていた」という繰り返し登場する主張をそのままにしていることである。ディーゼル排気ガスを使った場合、酸素不足で死亡することがあるかもしれないが、その場合には死体は「青味ががって」いることになる。しかし、ガソリン・エンジンの排気ガスを使った場合には、一酸化炭素が死因となり、その死体は「さくらんぼ色の赤」か「ピンク」となる。プファンネンシュティールの戦後証言は、ゲルシュタイン陳述よりも粗雑なものではないが、彼やその他の「目撃証人」は、死体は「青味がかって」いたと繰り返し述べている[96]。
ゲルシュタイン陳述の全文を批判的に読めば、この「陳述」がホロコースト物語の改訂版に深刻な問題に投げかけていることがわかるにちがいない。『毒ガスを使った民族社会主義者の大量殺戮』には、きわめて作為的に短縮されたかたちでこの「陳述」が掲載されている。しかし、そのことは、ホロコースト研究者が自分たちの奇怪な妄想を補強してくれるような断片を、なりふりかまわずスクラップして集めようとしていることを明らかにしているにすぎない。そのような断片はきわめて少ない。だから、「ゲルシュタイン陳述」は依然として、彼らの最良の証拠なのである。
ホロコースト物語の「改訂」版は、旧版よりも馬鹿げている。たとえ、技術者がガソリン・エンジンをディーゼル・エンジンに間違えることがあったとしても、「赤」と「青」を間違えるであろうか。彼らは全色盲であったのであろうか。
ディーゼル・ガス室説はたわごとである。ヒルバーグなどの絶滅論者の中にも、これを認めようとしている人がいる。しかし、ガソリン・エンジンの排気ガスが使われたという説もたわごとである。唯一の「証拠」、すなわち目撃証言と矛盾してしまっているからである。このために、ホロコースト学者たちは古い物語に戻っている。『ホロコースト百科事典』[97]は、トレブリンカでのデムヤンユクの「犯罪」についてのイェルサレム裁判の判決[98]およびドイツの法廷の評決[99]に同意している。すなわち、ディーゼル・エンジンだったのである[100]。
12. 結論
トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルで行なわれたとされる行為をディーゼル・エンジンを使って行なうことは、理論的には可能であることを認めなくてはならない。しかし、ディーゼル・エンジンに十分な負荷を課し続けるには、並外れた専門的能力と技術設備が必要であろう。これについて、目撃証言はまったく触れてもいない。このような条件がすべて整ったとしても、「殺人者」たちは、せいぜい、この不健全で、何時間も続く任務にほとんど効果的とはならないやり方を手にするだけであろう。大量殺戮手段がこのやり方よりも、不便で、効率的ではないはずがない。精神状態のおかしい人物が、ディーゼル排気ガスで殺戮を行なおうと試みることがあるかもしれないが、数回試みてみれば、精神錯乱状態にある人物でさえも、何か別の良い手段が必要であると気づくにちがいない。
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写真10:『新しいロシアの言葉』は、修正主義者が『航空優勢』を持っていること、ディーゼル排気ガスは大量殺戮には不適当であることを率直に認めている。1995年2月28日の記事「ホロコースト・イデオロギー」 (Проверка Катастрофой.) |
もしも、「ナチス」がCOで大量殺戮を行なおうとすれば、その当時利用できたガス発生技術を使うにちがいない。50万の木炭ガス自動車が存在していたという事実こそが、ディーゼル説が馬鹿げており、信用できない確実な証拠である。
結局、ホロコースト正史派の歴史家たちも、ディーゼル排気ガスを使った大量殺戮が「まったく不可能」6であることを認めようとしているのかもしれない。亡命ロシア系ユダヤ人によって編集され、彼らを対象としているニューヨークの日刊紙『新しいロシアの言葉』によると[101]、世界でもっとも著名なホロコースト史家ヒルバーグは次のように述べたという。
「ナチスは人間の脂肪から石鹸を製造しなかったし、ディーゼル排気ガスで犠牲者を殺さなかった。これらの噂は1942年に流布していたが、われわれは、これらの噂や偽造を事実と真実から切り離さなくてはならない。ちょっとした嘘が、否定派に馬草を提供し、われわれに敵対する行為になる。」
最後になるが、大量ガス処刑という告発を証明する責任は、告発者の側にあるべきである。今日にいたるまで、COガス処刑について、告発者側が提供した最良の証拠でさえも、理性的な人々を納得させる信頼すべき証拠のもつもっとも基本的な基準を満たしていない。
[1] 本小論は、ベルク論文 "The Diesel Gas Chambers - Myth Within a Myth", The
Journal of Historical Review (JHR) 5(1) (1984), pp. 15-46 (online:
ihr.org/jhr/v05/v05p-15_Berg.html)の改訂拡大版である。
[2] この裁判は滑稽なものであったが、その歴史と世論の反応については、本書のノイマイアー論文にある。
[3]
[4] The New Republic,
[5] Cf. the chapter by W. Rademacher, this volume,
as well as afp, "Österreicher
bestreitet Holocaust", Süddeutsche
Zeitung, March 13, 1992, p. 10; Neue Kronenzeitung,
April 20, 1993; "Ein rauhes Lüftl", Bau 5/1995, p. 8; "Rechte
Gutachten", Profil,
June 20, 1994; E. Kosmath, letter to the editor, Bau 11/1994; ARA, "Lüftl
wieder in Kammer, ‘Schwieriges Problem’", Standard (Vienna),
Sept. 19, 1994.
[6] W. Lüftl, "Sollen
Lügen künftig Pflicht sein?", Deutschland
in Geschichte und Gegenwart, 41(1) (1993), pp.
13f. (online: vho.org/D/DGG/Lueftl41_1.html).
[7] J. Bailer, in Brigitte Bailer-Galanda, Wolfgang
Benz, Wolfgang Neugebauer (eds.), Wahrheit
und Auschwitzlüge, Deuticke,
Vienna 1995, pp. 99-118, here 100-107; cf. G. Rudolf, "Zur
Kritik an ‘Wahrheit und Auschwitzlüge’", in Vrij
Historisch Onderzoek (ed.),
Kardinalfragen zur
Zeitgeschichte, Vrij Historisch Onderzoek, Postbus 60, B-2600 Berchem 2,
1996, pp. 91-108, here 98-102 (online: vho.org/D/Kardinal/WahrheitR.html;
English: vho.org/GB/Books/cq/critique.html).
[8] 本書のルドルフ論文参照。
[9] R. Hilberg, The Destruction of the European Jews,
Quadrangle Books, Chicago 1961, p. 572; German ed.: Die Vernichtung
der europäischen Juden,
[10] Updated with information from the official German Institut
für Zeitgeschichte
(Institute for contemporary History).
[11] Maximum figure given by F. Golczewski in W.
Benz, Dimension des Völkermords, Oldenbourg,
[12] 資料によって900万から68万。さしあたり、100万を公式の数字としておく。本書のルドルフとガウスの論文を参照。
[13] R. Hilberg, op. cit. (note 9),
[14] William B. Lindsey, "Zyklon B,
[15] H. Roques, Faut-il
fusiller Henri Roques?,
Ogmios Diffusion, Paris 1986 (cf. online: abbc.com/aaargh/fran/ ACHR/ACHR.a.html); abbrev. German
ed.: H. Roques, Die "Geständnisse"
des Kurt Gerstein, Druffel, Leoni
1986 (online: abbc.com/aaargh/deut/HRgerstein1.html); cf. D. Felderer, JHR 1(1) (1980), pp. 69-80; D. Felderer, JHR 1(2) (1980), pp. 169-172 (online:
vho.org/GB/Journals/1/1/Felderer69-80.html & …/2/Felderer169-172.html); C. Mattogno, Il rapporto Gerstein
- Anatomia di un falso, Sentinella d’Italia, Monfalcone 1985; cf. Raul Hilberg,
"Expert’s admission: Some gas death ‘facts’ nonsense", Toronto
Sun, Jan. 17, 1985.
[16] ひどい歪曲の事例は、L. Poliakov, Harvest of Hate, Schocken Books (Holocaust Library), New York 1979, p. 195
(French ed.: Bréviaire de la Haine, Calman-Levy, Paris
1951, pp. 220ff.)である。
[17] Y. Arad, Belzec,
Sobibor, Treblinka: The Operation Reinhard
Death Camps, University Press, Bloomington 1987, p. 123によると、このヘッケンホルトの本名はローレンツ・ハッケンホルトであった。アラドは、イヴァン・デムヤンユクがトレブリンカのディーゼル・ガス室の操作に責任をおった唯一の人物であると主張している、ibid.,
p. 86。デムヤンユク事件の破滅的な結果を考慮すると、アラドの使っている目撃証言の大半がまったく価値のないことは明らかである。デムヤンユク事件が決着を見ていないときに出版されたアラドの本は、世論に影響を与えようとする宣伝目的の本にすぎないと思われる。
[18] このセンテンスはH. Rothfels (ed.), "Augenzeugenberichte
zu den Massenvergasungen", Vierteljahrshefte
für Zeitgeschichte 1
(1953), pp. 177-194. では削除されている.その代わりに、Rothfelsは、"A
strictly personal observation then follows."という文章を入れている。
[19] Version T2, H. Roques, op. cit. (note
15), German ed. p. 57.
[20] めいっぱい詰め込んでも、1uに10名が最大である。cf. E. Neufert, Bauentwurfslehre,
Vieweg, Wiesbaden 1992, p. 27; cf. U. Walendy, Historische Tatsachen no. 29, Verlag für Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho
1985, p. 12: Quick, April 25, 1985.によると、大きな貨物自動車の4.44uのスペースに、46名を載せることができる。
[21] Letter from Pfannenstiel to P. Rassinier, dated Aug. 3, 1963, published in W. Stäglich, U. Walendy, "NS-Bewältigung", Historische
Tatsachen no. 5, Historical Review Press, Southam (GB) 1979, p. 20.
[22] Theory of E. Nolte in Streitpunkte, Propyläen, Berlin 1993, pp. 309f.
[23] 一酸化炭素の毒性については、たとえば、 W. Forth, D. Henschler, W. Rummel, K. Starke, Allgemeine
und spezielle Pharmakologie
und Toxikologie, 6th ed., Wissenschaftsverlag, Mannheim 1992, pp. 756ff.; S. Kaye, Handbook
of Emergency Toxicology, C. C. Thomas, Springfield 1980, pp. 187f.; C. J.
Polson, R. N. Tattersall, Clinical Toxicology,
Lippincott, Philadelphia 1969, pp. 604-621を参照。
[24] L. Poliakov, Harvest of Hate, op. cit.
(note 16), p. 196. ディーゼル・エンジンの使用に触れている典型的で、基本的な研究書にはW. Grossmann, Die Hölle von Treblinka, Foreign Languages Publishing
House, Moscow 1947がある。死は戦車の排気ガスによって10−20分でもたらされた。真空やスチームのこともあった。Eliahu Rosenberg, Tatsachenbericht,
Jewish Historical Documentation, Dec. 24, 1947, p. 4。20−35分以内のディーゼル・エンジンの排気ガスを使った大量殺戮。
(published in H. P. Rullmann, Der
Fall Demjanjuk, Verlag für ganzheitliche Forschung und Kultur, Struckum 1987, pp.133-144); World Jewish Congress et al.
(eds.), The Black Book: The Nazi Crime Against the Jewish People, New
York 1946; reprint by Nexus Press, New York 1981。戦車のエンジンからの一酸化炭素による、トレブリンカでの、少なくとも300万の犠牲者。真空やスチームのこともあった。
[25] W. Braker, A. L. Mossman, Effects of Exposure
to Toxic Gases, Matheson Gas Products, East Rutherford 1970, p. 12; 2nd
ed., D. Siegel, Lynhurst, N.J., 1977.
[26] E. Kogon, H. Langbein,
A. Rückerl et al. (eds.), Nationalsozialistische
Massentötungen durch Giftgas, Fischer, Frankfurt/Main 1986によると、 p. 159
(E. Fuchs, 10分), p. 167 (K. A. Schluch,
5-7 分), p. 174 (K. Gerstein, 18 分), p. 181 (A. Goldfarb, 20-25分), the gassing
procedure allegedly sometimes took much less time; in accordance with Gerstein:
Matthes, in H. P. Rullmann,
op. cit. (note 24), p. 167: 30 min.
[27] Y. Henderson, H. W. Haggard, Noxious Gases, Reinhold Publishing,
New York 1943, p. 168.
[28] F. E. Camps, Medical and Scientific Investigations in the Christie Case,
Medical Publications Ltd., London 1953, p. 170.
[29] P. S. Myers, "Automobile Emissions - A Study in Environmental
Benefits versus Technological Costs", Society of Automotive
Engineers Transactions 79 (1970), section 1, paper 700182, p. 662.
[30] Hb.CO ――ヘモグロビン・一酸化炭素化合物、COと血液のヘモグロビンによって形成され、それによって、酸化ヘモグロビン(Hb.O2)は置き換えられる。
[31] Keith Simpson (ed.), Taylor’s Principles and Practice of Medical
Jurisprudence, J. & A. Churchill, London 1965, pp. 366f.
[32] ソ連はガソリン・エンジンも(BT、T
28、T 35)、1930年代中頃以降は、ディーゼル・エンジンも(T 34、KW Ia、KW II)使っていた。T
34の重ディーゼル・エンジン、モデル「W2」は、550馬力V12気筒ディーゼル(非分割室)であり、38861cc、最大1900rpmであった。Augustin,
Motortechnische Zeitschrift
5(4/5) (1943), pp. 130-139; ibid., 5(6/7) (1943), pp. 207-213; ibid.,
6(1/2) (1944), p. 40; and H. Scheibert, Der russische Kampfwagen T-34 und seine Abarten,
Podzun-Pallas Verlag,
Friedberg 1988参照。潜水艦のディーゼル・エンジンもあげられている。Jochen von
Lang, Eichmann Interrogated, Farrar,
Strauss & Giroux, New York 1983, p. 75 (German ed.: Das
Eichmann-Protokoll, Severin
und Siedler, Berlin 1982, p. 72)はロシアの潜水艦に言及している。Hannah
Arendt, Eichmann in
Jerusalem, Reclam-Verlag, Leipzig 1990, p. 181は、裁判でのアイヒマンの証言を引用している。ポーランドの中心部で大きな潜水艦のエンジンを使ったという説は馬鹿げている。
[33] ドイツでも、ディーゼル・エンジンの排気ガスレベルは、連邦排気ガス規制の設定する許容数値を下回ってきた。このために、1994年までは、ディーゼル・エンジンは触媒の強制使用を免除された唯一のエンジンであった。
[34] David F. Merrion, "Effect of Design
Revisions on Two Stroke Cycle Diesel Engine Exhaust", Society of
Automotive Engineers Transactions 77 (1968), paper 680422, p. 1535.
[35] M. A. Elliott, R. F. Davis, "Composition of Diesel Exhaust Gas",
Society of Automotive Engineers Quarterly Transactions 4(3) (1950), p.
345. 残念なことに、空気/燃料比を使っているグラフもあれば、燃料/空気比を使っているグラフもあるので、ここでは両方を使わざるをえない。空気/燃料比18:1は燃料/空気比0.0055と等しい(20:1
= 0.05, 25:1 = 0.04, 33.3:1 = 0.03 …)。
[36] J. C. Holtz, "Safety with mobile Diesel-powered equipment
underground", Report of Investigations No. 5616, U.S.
Department of the Interior, Bureau of Mines, Washington, D.C., 1960, p. 67; cf.
Holtze, R. W. Dalzell, "Diesel Exhaust
Contamination of Tunnel Air", ibid., 1968.
[37] これに関連した実験とその目的については、多くの論文で議論されているが、J. C. Holtz, op. cit. (note 36)が最良であろう。
[38] 過去50年間、グラフ3と4の使っているデータは、多くの技術者によって、技術文献の中で繰り返し使われてきている。このことは、このグラフで使われているデータがいかに信用できるかを示している。このデータに依拠している、初期の2つの研究は、H. H. Schrenk, L. B. Berger, "Composition
of Diesel Engine Exhaust Gas", American Journal of Public Health
31(7) (1941), p. 674; and Martin A. Elliott, "Combustion of Diesel
Fuels", Society of Automotive Engineers Quarterly Transactions
3(3) (1949), p. 509である。
[39] Data taken from: M. A. Elliott, R. F. Davis, op. cit. (note 35), p.
333.
[40] D. Pankow, Toxikologie
des Kohlenmonoxids, VEB Verlag
Volk und Gesundheit, Berlin (East) 1981, p. 24も、ディーゼル・エンジンはフル負荷状態では0.4%以上のCOを生み出さないと述べている。この意味で興味深いのはイスラエルの専門家Eran Sher教授・博士の見解である。 Handbook
of Air Pollution from Internal Combustion Engines: Pollutant Formation and
Control, Academic Press, Boston 1998, p. 288: 「一酸化炭素排気は規制されているけれども、ディーゼル・エンジンはその燃料プロセスからして、COの生成を抑制しているので、ここではそれは考慮されないであろう。」
[41] Edward F. Obert, Internal Combustion Engines
and Air Pollution, Intext Educational Publishers,
New York 1973, p. 361.
[42] Y. Henderson, H. W. Haggard, op. cit. (note 42), pp. 144-145.
[43] J. S. Haldane, J. G. Priestley, Respiration,
Yale UP, New Haven 1935, pp. 223-224.
[44] 注:排気ガスの構成はエンジンのrpmにはほとんど関係ない。rpmは排気ガスの発生量を決定するだけである。もしも、同じ燃料/空気比の状態でrpmが低ければ、全工程が長くなる。
[45] グラフ3と4のデータにもとづく。
[46] ディーゼル・エンジンの排気を実験するとき、技術者は特別な装置を使わず、エンジンの惰性を利用して、負荷をかけている。負荷のない低い回転状態のエンジンにアクセルを踏み込んで、数秒で高い回転に持っていくと、すぐに燃料/空気比が上昇する。負荷のかかった状態のエンジン排気ガスの構成を測定するにはこれで十分であるが。大量殺戮には応用できない。
[47] E. Fuchs, in E. Kogon et .al. (eds.), op.
cit. (note 26), p. 163: 「…私は、バラックに電灯がつくようにするために、絶滅収容所に小規模な機械を設置した…」。E.
Roosevelt, A. Einstein et al. (eds.), The Black Book of Polish Jewry,
Roy Publishers, New York 1943, pp. 142ff.: スチームによる殺人、電力のためのディーゼル。A. Donat (ed.), The Death Camp Treblinka, Holocaust
Library, New York 1979, p. 157および as well as the verdict of the Düsseldorf
District Court in the Treblinka Trial, Ref. 8 I Ks 2/64, p.
300; Y. Arad, op. cit. (note 17), p. 42を参照。
[48] Kostenüberschlag über Notstromaggregate
für K.G.L.,
Central Construction Management of the Waffen-SS and
Police of Auschwitz, O./S., Oct. 26, 1942.
[49] ガソリン・エンジンとは違って、ディーゼル・エンジンにはキャブレターがなく、したがって、混合気の調整ねじがついていないので、調整ねじを使っての混合気の変更はできない。
[50] R. E. Pattle, H. Stretch, F. Burgess, K.
Sinclair, J. A. G. Edginton, British Journal of Industrial
Medicine 14 (1957), pp. 47-55, here p. 48. Martin Pägert
(www.eikon.e-technik.tu-muenchen.de/~rwulf/leuchter/leucht19.html [The Nizkor Project])は軽負荷・部分負荷状態での実験でも動物が死ぬことがあると記しているが、それは正しい。しかし、彼は、このような死亡が起るのは、何時間もその排気ガスを吸ったのちのことであり、しかも、一酸化炭素によるものではない肺気腫などのさまざまな症状で死んでいるという事実を隠している。6.9節参照。
[51] Martin Pägert, (note 50)は、R. E. Pattle論文を使って、ディーゼル・エンジンでも大量殺戮が可能であるという自説を補強しようとしているが、この実験の必要時間については慎重に避けている。
[52] R. E. Pattle et al., op. cit. (note 50)の実験では、動物はあらかじめガスの充満したスペースの中に入れられるが、ここで扱っているケースでは、ガスは次第に部屋に入ってくる。これも、Martin
Pägert, op. cit. (note 50)が不正確な計算するにあたって、読者から隠していることである。
[53] M. A. Elliott, R. F. Davis, op. cit. (note 39), p. 345.
[54] R. E. Pattle et al., op. cit. (note 50)の実験を参照。
[55] 興味深いことに、このデータを、ディーゼル・エンジンを使っても高い濃度のCOを作りだすことができる証拠として引用している人がいる。Martin Pägert, op. cit. (note 50)を参照。しかし、これはディーゼル燃料ではなく、特別なガス燃料を使ってのみ可能だということに、言及していない。
[56] W. Forth et al., op. cit. (note 23), pp. 760ff.; M. Daunderer, Klinische Toxikologie, 33rd supplement 1/88, ecomed,
Landsberg 1988, pp. 1ff.
[57] W. Forth et al., op. cit. (note 23), pp. 761, 765; M. Daunderer, Klinische Toxikologie, 34th supplement 2/88, ecomed,
Landsberg 1988, pp. 1ff.
[58] Cf. R. E. Pattle et al., op. cit. (note
50), p. 50.
[59] J. Falbe, M. Regitz
(eds.), Römpp Chemie
Lexikon, v. 5, Thieme,
Stuttgart 1992, pp. 4314f.
[60] R. Kühn, K. Birett, Merkblätter Gefährlicher
Arbeitsstoffe, 69th supplement 11/93, Technische Regeln für Gefahrstoffe (TRGS) 554:
"Dieselmotoremissionen", ecomed, Landsberg 1993; ibid.,
61st supplement 9/92, TRGS 102, Technische Richtkonzentrationen (TRK) für gefährliche Stoffe, pp. 93ff.; L.
Roth, M. Daunderer, Giftliste,
23rd supplement 2/86, TRGS 102, ecomed, Landsberg 1986, pp. 51ff.
[61] L.J. Meduna, Carbon Dioxide Therapy, C.
C. Thomas, Springfield 1958, pp. 3-19.
[62] J.D.P. Graham, The Diagnosis and Treatment of Acute Poisoning,
Oxford UP, London 1962, pp. 215-217.
[63] L.T. Fairhall, Industrial Toxicology,
Williams & Wilkins, Baltimore 1957, p. 180.
[64] M. Daunderer, Klinische
Toxikologie, 32nd supplement 21/87, ecomed, Landsberg 1987, p. 1.
[65] J.M. Arena, Poisoning: Toxicology - Symptoms - Treatments, C. C.
Thomas, Springfield 1979, p. 243; J.D.P. Graham, op. cit. (note 62), p.
216.
[66] Cf. A. Donat (ed.), op. cit. (note 47),
pp. 34, 157ff., and the Treblinka verdict of Düsseldorf, ibid., p.
300ff.; Y. Arad, op. cit. (note 17), p. 119f.;
J.-F. Steiner, Treblinka, Stalling, Oldenburg 1966, p. 173. Regarding
the engine type, cf. note 32.
[67] J.-F. Steiner, op. cit. (note 66), p. 173は、一部屋に200名と述べている。一方、J. Wiernik (in A. Donat, op. cit.
(note 47), p. 161)は、7m×7mの一部屋に1000―1200名、すなわち、1㎥当たり20名以上と空想している。Y. Arad, op. cit. (note 17), pp. 120fは最大380名としているが、実際には、一部屋あたり300名と見積もっている。しかし、部屋の数は10ではなく、6としている。
[68] Augustin,
Motortechnische Zeitschrift
5(4/5) (1943), pp. 130-139.
[69] 結果として生じる余分な圧力が、数分後に部屋を崩壊させてしまうであろう。本書のノイマイアー論文参照。
[70] CO濃度が直線的に増加していったとして。
[71] H. Bour, I. McA. Ledingham, Carbon Monoxide Poisoning, Elsevier,
Amsterdam 1967, p. 2.
[72] 今日ではこの技術は忘れ去れているが、当時のドイツの自動車技術文献は、この技術の資料であふれている。それについての外観は、 Automobiltechnische Zeitschrift
18 (1940) and 18 (1941)を参照.また、E. Eckermann, Alte Technik mit Zukunft: Die Entwicklung des Imbert-Generators,
Oldenbourg, Munich 1986.も参照。
[73] H. Fiebelkorn, Behandlung
und Instandsetzung von Fahrzeug-Gaserzeugeranlagen,
W. Knapp, Halle 1944, p. 189; cf. 2nd ed.,
ibid., 1948.
[74] W. Oerley, "Entwicklung
und Stand der Holzgaserzeuger
in Österreich, März 1938",
Automobiltechnische Zeitschrift
11 (1939), p. 314.
[75] Walter J. Spielberger, Kraftfahrzeuge
und Panzer des österreichischen Heeres
1896 bis heute, Motorbuch Verlag, Stuttgart 1976,
pp. 207, 213.
[76] A. Hitler, July 15, 1940, quoted from W. Ostwald,
Generator-Jahrbuch, 1942, J. Kasper & Co., Berlin 1943, p. 79.
[77] W. Ostwald, op. cit. (note 75), pp. 41f.
[78] E. Eckermann, op. cit. (note 72).
[79] E. Hafer, Die gesetzliche
Regelung des Generatoren- und
Festkraftstoff-Einsatzes im
Großdeutschen Reich, J. Kasper & Co., Berlin
1943, p. 15.
[80] Letter from H. Göring to the Reich Economic
Minister, the Reich Transportation Minister, the Commanders-in-Chief of the Wehrmacht units, the Chief of the Wehrmacht
Supreme Command, the Reich Ministers for Armament and Munition
as well as for the occupied eastern territories, according to E. Hafer, op. cit. (note 79), p. 17.
[81] Motortechnische Zeitschrift,
Nr. 6/7, 1943, p. 3A.
[82] E. Hafer, op. cit. (note 79), p. 36.
[83] E. Hafer, op. cit. (note 79), supplement,
p. 35a.
[84] U. S. Strategic Bombing Survey, The German Oil Industry Ministerial
Report Team 78, War Department, Washington, D.C., 1947, p. 73.
[85] L. Gassner, "Verkehrshygiene
und Schädlingsbekämpfung", Gesundheits-Ingenieur 66(15) (1943), p. 175.
[86] "S"は標準的な後輪駆動、A-車両は全輪駆動をさしている。特別車両はSd.-Kfzと短縮される。W.
Spielberger, Spezial-Panzer-Fahrzeuge
des deutschen Heeres, Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1977, pp. 153f.; W. Spielberger, Die Halbkettenfahrzeuge
des deutschen Heeres, 2nd
ed., ibid., 1984, pp. 170f.; W.J.L. Davies, German Army Handbook
1939-1945, Arco, New York 1981, p. 90.を参照。
[87] 本書のヴェッカート論文参照。
[88] F. Kadell, Die Katyn-Lüge,
Herbig, Munich 1991.
[89] Cf. esp.: W. Gumz, J. F. Foster (Battelle Memorial Institute), "A Critical Survey of
Methods of Making a High BTU Gas from Coal", Research Bull. No. 6,
American Gas Association, New York 1953; further detailed references are given
there.
[90] U. S. Strategic Bombing Survey, Oil Division Final Report, War
Department, Washington, D.C., 1947, p. 1 [retrans.
from German trans.].
[91] 本書のルドルフ論文、およびF. P. Berg, "Typhus and the Jews", JHR 8(4)
(1988), pp. 433-481 (online: vho.org/GB/Journals/JHR/8/4/Berg433-481.html); F.
P. Berg, "The German Delousing Chambers", JHR 7(1)
(1986), pp. 73-94 (online: codoh.com/gcgv/gcgvtyph.html)を参照。
[92] E. Kogon et al. (eds.), op. cit. (note
26).
[93] Chicago Jewish Sentinel, Dec. 22, 1983.
[94] E. Kogon et al. (eds.), op. cit. (note 26),
pp. 171f. 本書の中でガソリン・エンジンを使ったというもう1つの説は1960年の証言である。「少なくとも200馬力の大きなロシア製ガソリン・エンジン(多分、戦車かトラクターのエンジン)でした(8気筒水冷V型エンジン)」。p.
158, excerpted from papers of the Dortmund Public Prosecutor’s Office,
Ref. 45 Js 27/61 (Ref. ZSL: 208 AR-Z 251/59,
v. 5, fol. 988). しかし、ソ連が重戦車のエンジンに使っていたのは、ディーゼル・エンジンだけであった。注32参照。
[95] Testimony by Prof. W. Pfannenstiel, around 1960,
excerpted from papers of the Munich I Public Prosecutor’s Office,
Ref. 22 Js 64-83/61 (Ref. ZSL: 208 AR-Z 252/59,
v. 1, fol. 135ff.), quoted from: E. Kogon
et al., op. cit. (note 26), p. 173. Cf. note 21.
[96] たとえば、Saul Friedländer, Counterfeit Nazi: The
Ambiguity of Good, Weidenfeld and Nicolson, London 1967, p. 118引用されているダルムシュタット裁判所での1950年6月6日の彼の証言。また、たとえば、
K. A. Schluch, around 1960, excerpted from
documents of the Munich I Public Prosecutor’s Office,
Ref. 22 Js 64-83/61 (Ref. ZSL: 208 AR-Z 252/59,
v. VIII, fol. 1511), quoted from: E. Kogon
et al. (eds.), op. cit. (note 26), p. 168; cf. A. Rückerl
(ed.), Nationalsozialistische Vernichtungslager im Spiegel deutscher Strafprozesse, dtv, Munich 1978, p. 142も参照。何らかのかたちでトレブリンカ、ベルゼク、ソビボル収容所――トレブリンカとベルゼク、ソビボルは、強制収容所というよりも通過収容所であった――に関係していたドイツ人が、今日まで直面してきたディレンマの丹念な分析は、W.
Lindsey, op. cit. (note 14)および、本書のケーラー論文を参照。
[97] E. Jäckel, P. Longerich,
J. H. Schoeps (eds.), Enzyklopädie
des Holocaust, 3 vols., Argon, Berlin 1993, entries for "Aktion Reinhard",
v. 1, p. 15「ガソリン・エンジンかディーゼル・エンジン」、v. 1, p. 176「250馬力のディーゼル・エンジン」"Sobibor", v. 3, p. 1332 「200馬力のエンジン」、"Treblinka",
v. 3, p. 1428 「ディーゼル・エンジン」、, "Gaskammer",
v. 1, p. 505 「総督府の絶滅収容での…ディーゼル排気ガス」、"Vernichtungslager"
, v. 3, p. 1496「これらの絶滅収容所[ベルゼク、ソビボル、トレブリンカ]はディーゼル・エンジンの排出する一酸化炭素ガスを使った。」この資料によると、エンジン形式が不明であるのはソビボル収容所(25万名の犠牲者)だけである。ベルゼク(60万名の犠牲者)、トレブリンカ(70万―120万名の犠牲者)については、ディーゼル・エンジンと断言している。
[98] Jerusalem District Court, Criminal Case No. 373/86, verdict against
Ivan (John) Demjanjuk, p. 2: 「ディーゼル・エンジン」、
p. 7:「SU戦車:500/550馬力のV12ディーゼル・エンジン」。.
[99] A. Rückerl (ed.), op. cit. (note 96),
pp. 61, 64, 133 (re. Belzec); 203f., 226 (re.
Treblinka); ソビボルについてはガソリン・エンジンの話がある。 pp. 108, 165, 200; cf. the verdict of
the Munich I District Court, Ref. 110 Ks 3/64 (Belzec) and the verdicts of the Düsseldorf District Court,
Ref. 8 I Ks 2/64 and 8 Ks 1/69 against
K. Franz and F. P. Stangl (both Treblinka),
in H. Lichtenstein, Im Namen des Volkes?, Bund, Cologne
1984, pp. 187f. (ベルゼクのガス気密室でのディーゼル排気ガスによる15分後の死)、p. 201 (3
screwed-down Diesel engines in Treblinka).
[100] The chemist 科学者J. Bailer も、不正に切ったトランプカードで遊んでいるけれども、熱心のディーゼル説を擁護している。注7を参照。同じことは
Martin Pägertにもあてはまる。注50-52と54を参照。
[101] Y. Manin, Novoje
Russkoje Slowo,
February 26-29, 1995; この記事の詳細については、M. Dragan, "Revisionisten haben Luftüberlegenheit", Vierteljahreshefte
für freie Geschichtsforschung, 1(3) (1997), p.138 (online:
vho.org/VffG/1997/3/Dragan3.html)を参照。