『偽イスラエル政治神話』(29)

第3章:神話の政治的利用

電網木村書店 Web無料公開 2000.4.7

第3節:“イスラエルの奇跡”の神話
……外部からの資金援助……

 ドイツからイスラエル国家に流れ込んだ金額に関しては、まず、賠償交渉が行われた際の代表団の首席だったナフム・ゴールドマン氏から、物語ってもらおう。彼は、その内容について、『自伝』の中で、詳しく記している。私は、一九七一年四月二三日、友情に満ちた献辞とともに、その『自伝』を受け取った。それは、私がその二年前の六日間戦争後という時期に、彼の頼みに応じて、ナセルとの仲の取り持ちを果たしたことへの感謝の印しだった。

[法的根拠ないドイツとオーストリアからの賠償金]

《一九五一年初頭、イスラエルは初めて公式の舞台に立って、四か国の同盟国に二通の覚書きを送り、新しいドイツに対してのユダヤ人の要求を述べ、賠償金については、その総額を一五億ドルとし、半額を西ドイツに、残りの半額を東ドイツに請求するとした。総額の計算根拠は、以下のごとくであった。

 イスラエルは、約五〇万人のユダヤ人を受け入れた。難民一人当たりの復帰に要する費用は、約三千ドルである。これらのナチズムの犠牲者を救い、この膨大な費用を個人的に負担してきたイスラエルは、ナチの支配下にはユダヤ人国家が存在していなかったので、法的な根拠を持たないものの、ユダヤ民族の名において、この要求を提出する権利があるのではないかと考える》(前出『自伝』)

《このような状況の下で、一九五一年の夏、イスラエルの外務大臣が、私に会見を申し入れてきた。私は、パレスチナのためのユダヤ機関の議長だったのだが、アメリカ、イギリス、フランスの、主要なユダヤ人組織の代表を招集して、イスラエルの賠償請求への支援を訴え、それが受け入れられるような手段を発見してほしいというのである》(同前)

《われわれが心に描いていた交渉は、非常に特殊な性質のものであった。その交渉には、いかなる法的根拠もないのである》(同前)

《勇気と威力に満ちた同盟国の大蔵大臣たちは、議論の土台として総額一〇億ドルを承認してくれた。しかし同時に、私は、この巨額の勘定書に対して敵意を抱く勢力が、各国の政府部内や、銀行、その他の産業分野で形成されつつあることに気付いた。各方面から、およそにしても、そんな金額は期待しない方が良いという声が聞こえてきた》

《ドイツと、われわれ賠償請求協議会代表団との間の、最初の交渉局面で、賠償金の支払いと、そのための法律の整備に関する大筋の合意が成立した。五億マルク[以下と数字が大幅に違うが、原文のまま]に達する請求総額の問題は、つぎの局面まで留保した》

《長時間の交渉の結果、ドイツ側の代表団が、イスラエルの賠償請求を三〇億マルク(われわれの要求よりも二五%少ない)まで認める案を、政府に勧告するということで合意に達し、この交渉は終結した》(同前)

《私は、七月三日、改めてボンに戻り、つぎのような譲歩をした。五〇億マルクの内の一〇%は、非ユダヤ人のナチズムの犠牲者への賠償に当てられ、ドイツ政府自身が直接配分することになった》(同前)

《……協定への署名は、一九五二年九月一〇日、ルクセンブルグで行われることになった。署名したのは、ドイツを代表して首相、イスラエルを代表して外務大臣のモシェ・シャレット、それに、賠償請求協議会の私である》(同前)

《……ドイツからの賠償金引き渡しは、最近のイスラエルの経済的発展にとって、決定的な要素だった。もしもドイツが約束を果たしてくれなかったならば、その経済が何度か直面した危機に際してのイスラエルの運命は、どうなっていたであろうか。鉄道網、電話、港湾設備、灌漑施設、すべての産業分野と農業は、ドイツの賠償金なしには、現在の水準に達することはできなかった。その上に、何十万人ものナチズムの犠牲者のユダヤ人が、最近、賠償法にもとづいて、しかるべき金額を受け取っている》(同前)

《イスラエルに着いた朝、私は、首相のデヴィッド・ベン=グリオンの自宅を訪れた。彼は、もったいぶった態度で、私を迎えて、こう言った。〈私と、あなたは、幸せにも、イスラエル国家の創設と、ドイツとの協定の署名という、二つの奇跡を経験した。私は、前者の責任を果たし、あなたは後者の責任を果たした〉》(同前)

 ナフム・ゴールドマンは、別の著作、『ユダヤ人の矛盾』の中では、ドイツとの交渉についてだけでなく、オーストリアの首相、ラアブから、同様に“賠償金”を引き出した方法までも、物語っている。彼は、この首相に言った。《あなたは、ユダヤ人に賠償金を支払わなければならない!》

 ……《しかし、われわれは、ドイツの犠牲者ですよ!》とラアブは答えた。

 そこでゴールドマンは、こう言った。《私は、この問題に関して、ウィーンで一番大きい映画館を借りる。そこで毎日、一九三八年三月に、ドイツ軍の部隊とヒトラーが、ウィーンに入ってきた時の記録フィルム[訳注1]を上映する》

訳注1:ウィーンの群衆は彼らを大歓迎していた。

 するとラアブは言った。《分かった。金は払う!》

 この時の注文は、三千万ドルだった。その後、ゴールドマンは、またラアブを訪れた。《あと三千万ドル必要だ!》

 ……《しかし》とラアブは言った。《われわれは、三千万ドルだけということで合意した》

《ともかく、もっと寄越すべきだ!》とゴールドマンは言って、それを獲得した。彼はまた、三度目の訪問をして、同じ額を獲得した(同書・トロント裁判記録)

[第三世界二〇億人の百倍以上のアメリカの援助]

 その他にも二つの資金源がある。“イスラエルの奇跡”などと称される経済計画と、小さなダヴィデが巨人ゴリアテに石投げ道具で戦いを挑むという使い古された絵柄が馬鹿気て見えるような、イスラエル国家の核兵器を含む巨大な軍備は、この二つの資金源で成り立っている。現代の戦争では、兵力の評価は、動員できる兵士の数ではなくて、技術的に優れた武器の装備で決まる。イスラエルは、この国に授与される豊かな資金のお陰で、アラブ連盟のすべての国を合わせたよりも、はるかに強力で優勢な攻撃力を保持している。

 “賠償金”の他にも、イスラエルは、ほとんど無制限と言えるほどの武器と資金を、基本的には彼らの全能のロビーが極めて有効な働き振りを見せているアメリカから獲得し、同時に、贈物として・ディアスポラ・からも、供給され、自由に使っている。

 一九六七年には、当時のイスラエルの財務大臣、ピンハス・サピール氏が、エルサレムで開かれた“ユダヤ人億万長者協議会”(sic)[ママの意味。左記の出典の表現への疑問または留保の表明。正式名称ではないと思われる]の席上で、イスラエル国家は一九四九年から一九六六年までの間に七〇億ドルを受けとったと発表した(『ザ・イスラエリ・エコノミスト』67・9)。

 イスラエル首相の官房の総監督、ヤーコフ・ヘルツォグ博士は、右の集まりの目的を、つぎのように定義した。

《イスラエルへの投資をさらに拡大し、外国に住むユダヤ人の資本所有者をイスラエル経済に緊密に引き入れ、その結果、彼らに直接的な責任と参加の意識を抱いてもらう方法を吟味するために、……われわれは現在、別のことを計画している。それは、外国人との同化に反対する戦いという枠組みの中で、ディアスポラとイスラエルの一体化についての大規模な対話の場を形成することである》

 この作戦は、経済的に成功した。アメリカのユダヤ人組織は、毎年、平均して一〇億ドルを、イスラエルに送っている。この貢献は、“慈善”として取り扱われ、貢献者の税金の対象から免除される。つまり結局は、それがイスラエルの“戦費”への援助として役立つ場合でも、アメリカの納税者の肩にのしかかるのである。しかし、何といっても、基本的には、国家としてのアメリカからの直接の“援助”が最大であり、その額は、毎年、三〇億ドル以上に達している。

 援助のほぼ半分は、公式贈与と、非常に早く“忘れ”られる“貸与”から成り立っている。……残りは、イスラエルの対外債務に加わる。その額は急激に増加しており、現在、二〇〇億ドルに近付いている。平均して、史上空前、住民一人当たりで五千ドルになる。

 この毎年の援助の大部分は武器の供給である。アメリカ議会は、その目立つ性格に気を配り、世論の批判を避けるために、一九六七年、武器輸出制限法という財政的手段を、あらかじめ講じた。

 このような外部資金の数字の大きさを計る尺度としては、一九四八年から一九五四年までの間、西ヨーロッパで実施されたマーシャル・プランによる資金援助を思い出してみると良い。この方は、総額で一三〇億ドルに達した。つまり、住民が二百万人以下のイスラエルが、二千万人の西ヨーロッパの半分以上の金額を受け取っていたのである。換算すると、一人当たりで、西ヨーロッパの百倍になる。

 比較のための第二の尺度として、“低開発国”に対する援助を見ると、一九五一年から一九五九年までの年度別平均は、三一億六四〇〇万ドル以下だった。この当時、イスラエルの人口は一七〇万人で、四億ドルを受け取っていた。つまり、“低開発国”の人口の千分の一しかいないイスラエルが、全体の十分の一以上を受け取っていたことになる。二百万人以下のイスラエル人は、一人当たりで、第三世界の二〇億人の住民の百倍以上を受け取っていたのである。

 もう一つの分かりやすい比較例は、国別の総生産額であろう。イスラエルが一八年間に贈与として受け取った七〇億ドルは、近隣のアラブ諸国、エジプト、シリア、リビア、ヨルダンの四か国の、一九六五年の総生産額、合わせて六〇億ドルよりも多いのである。

 アメリカ一国だけの貢献を計算してみると、一九四八年から一九六七年までの間に、イスラエル人は毎年、一人当たり四三五ドルを受け取っているのに、アラブ人は三六ドルだった。表現を変えると、人口比率では二・五%のイスラエルに、残りの九七・五%に対する援助の三〇%を割り当てていたことになる(『イスラエルの財政』所収の68国連統計)。

 だが、イスラエル国家の資金獲得の方法には、さらに野心的な側面があった。国家の特性を利用して、イスラエルへの投資を導入する世界的な資金網の創設を企んだのである。一九六七年に初めて開催された“ユダヤ人億万長者協議会”は、その一例であった。

 パリII大学に提出されたジャック・ベンデラック氏の最近の博士論文が、『イスラエルの外部資金』(82)の題名で出ている。この本では、イスラエルの資金を様々な側面から詳しく紹介し、誰しもが拒否できない資料から正確な数字を引用している。

 著者は、主に、ディアスポラによる寄付と、アメリカ政府からの直接の援助との関係を研究している。

 彼は、つぎのように、この関係の発展を特徴付ける。

《もしもディアスポラが、最近(1970年代)まで、イスラエルの主要な資本供給源であったとすれば、現在では、アメリカ政府の援助(一年に約二〇億ドル)の方が、はるかにディアスポラによる資金の貢献(一年に約九億ドル)を上回わる傾向にある》

 こうして、一九八〇財政年度では、イスラエルへの一〇億ドルの武器売却が許可された。だが、その引き渡しの直後に、その半額の五億ドルは、承認されていた貸し付けの項目から、抹消される。……残額は、イスラエルとアメリカの政府間の、水入らずで差し向かいの借金の増大となる。……ただし、借金とは言っても、返済については十年以上の遅れが許されているのであり、その上に、一九七三年以来、悪化を続けるイスラエル経済の状況下、返済とは名ばかりの虚構と化している。なぜならば、返済の払い込みは、直ちに、より増大したアメリカ政府の援助によって償われるからである(『クリスチャン・サイエンス・モニター』81・12・20)。

 すでに、イスラエルが一九五六年にエジプトに侵攻して以来、アメリカからの武器の供給は大規模であった。その当時の状況を、シオニストのミシェル・バル・ゾハルは、こう記している。

《六月以降、極秘が条件の協定に従って、膨大な量の武器がイスラエルに溢れ始めた。この武器の引き渡しは、ワシントンにも、中東の勢力バランスの監視を任務とする英・仏・米の諸組織にも、古い仲のアラブ諸国との連携が壊れることを心配して、イスラエルへの接近を用心深く危険視するフランス外務省にも、知らされていなかった》(前出、ミシェル・バル・ゾハル『ベン=グリオン/武装した予言者』66)

 もう一つの資金源は、イスラエル国家の国債で成り立っている。額面はドル立てで、外国人に売り、返済と利子の支払いはイスラエルの紙幣で行うものである。

 この国債は、一九五一年には九九・八%、一九七八年には八〇%が、アメリカで売られるといった状況であり、イスラエル経済に対して、五〇億ドル以上をもたらしている(『アメリカ・ユダヤ年鑑』各年度版)。

 “国債”と“贈与”とを合わせて、シオニスト国家は、一九四八年から一九八二年までの間に、一一五億ドル近くを受け取っている(イスラエル&イスラエル銀行等の年報)。

 以上のような効率の良さは、《権力と財界の馴れ合い》とベンデラック氏が呼ぶ関係が、シオニスト運動の中にあることを示している。ベンデラック氏は、一九八二年現在のフランスに関して、つぎのように衝撃的な人脈図を示している。

《ギィ・ドゥ・ロートシルド[前出・フランスのロスチャイルド家]は、FSJU[統一ユダヤ社会基金]と、AUJF[フランス・ユダヤ人統一アピール]の総裁である。

 デヴィドは、FSJU[前出]の財務担当であり、フランスのユダヤ機関の理事会メンバーである。

 アランは、フランスのユダヤ人問題研究所理事会とイスラエル中央長老会議の議長だった。

 エリーは、AUJF[前出]執行委員会の議長である。

 エドモンは、イスラエル国債ヨーロッパ機構の総裁である。

 最後に、アリックス・ドゥ・ロートシルドは、世界“青年アリヤー”[訳注1]の議長だった》(前出『イスラエルの外部資金』82)

訳注1:「アリヤー」の本来の意味はエルサレムへの巡礼団だが、現在は、国外からのイスラエルへの「帰還」を意味する重要なキーワードになっている。

[目が眩む速度で増大を続けたアメリカの軍事援助]

 しかし、アメリカ政府に対する依存度は、とりわけ七〇年代以後、さらに高まった。

《六日間戦争[第三次中東戦争]当時、対外欠損は七億ドルに達していた。七〇年代の初頭には、一〇億ドルを超えた。世界中のユダヤ人社会の出資では、最早、イスラエル経済が必要とする資本の需要を満たすことはできなかった。そこで、アメリカ政府に援助を訴えなければならなかった。アメリカは、ヨム・キップル戦争[第四次中東戦争]以後、経済面での援助以前に、軍事面への信用貸与を先行させていた。その後のアメリカ政府の資本供与は、イスラエルの対外債務の軽業まがいの激増として表面化し、一九八二年には、二〇〇億ドルを超えた。こうして、七〇年代初頭以降のディアスポラによる資金援助の比率低下は、二つの側面でのイスラエル経済の依存に要約できる。一つは、アメリカ政府の援助であり、もう一つは、対外債務の増大である。》(同前)

 一九四八年以後、イスラエルに対するアメリカ政府の援助は、一八〇億ドル近くに達した。貸与と贈与に、平等に配分されているが、全体の三分の二は軍事目的に当てられていた(アメリカ財務省&テル・アヴィヴのアメリカ大使館資料)。

 アメリカ政府の援助の増大振りは、目が眩むほどの速度である。一九七五年までは一億ドル以下、一九八一年までは二〇億ドル以下だったのに、一九八五年一月には、イスラエル国家が、以後八年間に一二〇億ドルの援助を要求した。

 対外債務に関しては、一九七三年に六〇億ドルを突破した。一九七六年には一〇〇億ドル、一九八一年一月一日現在で一七〇億ドルであり、住民一人当たり四千三五〇ドル!

 下請けの取引でも援助が増大している。特に多いのは航空機の分野であり、イスラエルの航空産業は、F4およびF15戦闘機の部品製造契約を獲得している。

 最後に、イスラエルからアメリカに輸出する場合の便宜供与の協定も、援助に含まれる。イスラエルは“発展途上国”向けの優先的な関税の適用にあずかり、このお陰で、一〇億ドルに達する輸出の九六%は、あらゆる税を免除されてアメリカの市場に入るのである。

 簡単に言えば、たった一つの数字だけで、イスラエルのシオニスト国家の性格を十分に定義できる。イスラエルが、そして、イスラエル一国のみが、アメリカから公式に受け取っている・援助・の総額は、住民一人当たりで、千ドルに相当する。つまり、イスラエル人は、その国民生産以外に、エジプトその他の大部分のアフリカ諸国の住民の一人当たり国民生産の、三倍もの祝儀を、アメリカから受け取っているのである。

 エルサレムにあるヘブライ大学のイェシャヤフー・ライボヴィッツ教授の主著は、一九九二年にはフランス語でも翻訳出版された『マイモニドの信仰』[訳注1]であるが、彼は、二〇年にわたって『ヘブライ百科事典』の編集を指導してきた。

訳注1:マイモニドまたはマイモニデス(一一三五~一二〇四)。コルドバ生れの法師。アリストテレスの哲学体系を吸収して、合理主義的でタルムード学派的なユダヤ教の律法を完成した。ヘブライ語では、モシェ・ベン・マイモン。

 彼の著書、『イスラエルとユダヤ教』[前出]はヘブライ語で書かれており、一九八七年にエルサレムで出版された。フランス語版は、彼の死の直前の一九九三年に出版されたものである。この本の中で、彼は、パレスチナに一九三四年から住んでいた一人の悩み多きユダヤ人として、宗教的シオニストの信仰を抱く視点から、つぎのように、政治的シオニズムに対する自分の意見をまとめている。

《われわれのシステムは根底から腐っている》(同前)。そして、これには二つの理由がある。

(1)《われわれの不幸は、すべてが国民と国家の問題に関わりを持つことから生じている》(同前)。もしも、国家と国民が、それ自身の目的を同じくするものであれば、その時、《ユダヤ教は捨てられる。なぜなら、最も重要なのはイスラエル国家になるだからだ》(同前)。

《国家主義は、人間の本質の破壊である》(同前)。《イスラエル国家は、軍隊を所有する国家ではなくて、国家を所有している軍隊である》(同前)。

(2) この国家のアメリカに対する依存。《ここでは、一夜にして、すべてが崩壊する可能性がある。それは、われわれのすべての生存条件を、アメリカの経済援助に依存するという、まったくの愚行の結果である》(同前)

《アメリカ人は、ここにツァハル[イスラエル国防軍の頭文字を取った略称]の制服を着たアメリカの傭兵の軍隊を維持することにしか、関心を持っていない》(同前)

《ユダヤ人のゲンコツの力は、それを覆うアメリカの鉄製の手袋と、その上張りのドルに頼っている》(同前』)


(30)原著者ロジェ・ガロディの「結論」