『偽イスラエル政治神話』(6)

ナチス〈ホロコースト〉をめぐる真実とは?
イスラエル建国・パレスチナ占領の根拠は?

電網木村書店 Web無料公開 2000.1.7

著者はしがき-2.

総説[以下は初版と同じ]

 本書は、一つの邪教の物語である。

 この邪教は、神の啓示に逐語いじりの手前勝手な解釈をほどこし、宗教を政治の道具に祭り上げている。

 この邪教は、今世紀の終末に当たっての、致命的な病弊の一つであり、そのこと関して私はすでに拙著『統一主義』において定義を加えた。

 私は、拙著『イスラムの栄華と退廃』によってイスラム教の病弊と戦い、私が《イスラム主義はイスラム教の病弊だ》と語るのを好まない人々に嫌われる危険を犯した。

 私は、拙著『宗教の戦いのために』によってキリスト教の病弊と戦い、私が《パウロのキリストはイエスではない》と語るのを好まない人々に嫌われる危険を犯した。

 私は現在、本書『偽イスラエル政治神話』によってユダヤ教の病弊と戦い、イスラエル=シオニストの激怒を買う危険を犯している。彼らはすでに、ヒルシュ法師が彼らについて、《シオニズムはユダヤ教徒を国民として定義することを望んでいる。……それは邪教だ》(『ワシントン・ポスト』78・10・3)と指摘したことで機嫌を損ねている。

 本書で告発する(ユダヤ教徒の信仰ではない)シオニズムとは一体何なのだろうか?

 シオニズムはしばしば自らをつぎのように定義している。

 1、一つの政治的教義である。

《シオニズムは、テオドール・ヘルツルによって創始された一八九六年以後の政治運動に由来する》(『シオニズム・イスラエル百科事典』)

 2、ユダヤ教からではなくて、一九世紀のヨーロッパの国家主義から生まれた「国家主義者」の教義である。

 政治的シオニズムの創始者、ヘルツル[訳注]は、いかなる宗派に属すると主張したこともなく、『回想録』には、《私は宗教的衝動に従うことはない》《私は不可知論者である》(同前)と記している。

訳注:ヘルツルには、彼に先行するシオニスト運動が格好の看板指揮者として途中で迎え入れたタレントの要素がある。彼は、オーストリア=ハンガリー二重帝国のハンガリー側首都、ブタペストで、裕福なユダヤ人の子として生れ育ち、ユダヤ教の信者にはならず、ウィーンのドイツ語新聞のパリ特派員となった。一八九四年に発生したドレフュス事件(フランス軍ユダヤ人大尉のスパイ容疑・冤罪による流刑判決事件)の衝撃を受ける以前には、ヨーロッパ社会への融和を考えていた。『ユダヤ人国家』の初版は一八九六年。第一回シオニスト会議(のち世界シオニスト機構)の開催が一八九七年。だが、すでにそれ以前の一八七八年に締結のベルリン条約で、パレスチナ地方がフランスの支配下に入って以後、本訳書二四二頁以下にも記されているように、フランスのロスチャイルド家(ロートシルト)による土地買収とユダヤ教徒の移住勧誘が始まっていた。本訳書巻末の訳者解説三五六頁で紹介した資料によれば、さらにそれ以前の一八六七年、つまりは、第一回シオニスト会議が開催されるより三〇年も前に、「開発資金を集めた創世期のシオニスト運動組織は、パレスチナの天然資源を調査」を行い、「数百万の人口を移住させる可能性」を確かめていたのである。

 彼は聖地に特別な関心を抱かなかった。彼は、国家主義を実現する目的地として、ウガンダ、トリポリ、キプロス、アルゼンチン、モザンビーク、コンゴの、どこでも同じく受入れようとしていた(同前)。しかし、ユダヤ教徒の友人の反対に直面し、彼が「力強い伝説」(mighty legend)(同前)と呼んだものが、《逆らい難い力を持つ同志糾合の号令となっている》(『ユダヤ人国家』)ことを認めた。

 この動員力のあるスローガンは、すぐれて現実主義的な政治家である彼にとって、見逃せないものだった。彼は、この「復古的」「力強い伝説」を歴史の現実に置き換えようと宣言し、こうも語った。

《パレスチナは我々の忘れ難い歴史の一部である。……この地名のみが我々の仲間にとっての力強い同志糾合の号令になり得る》(同前)

《ユダヤ人問題は、私にとって社会的問題でもなければ、宗教的問題でもない。……それは国家の問題だ》

 3、一つの植民地主義の教義である。

 この点でも開けっ広げなテオドール・ヘルツルは、彼の目的を隠そうとはしない。第一段階として“地図上の国家”を、イギリスまたはすべての他の列強の保護の下に実現し、きたるべきユダヤ人国家の建設に備える。

 そのために彼は、この分野の作戦の教師、セシル・ローズ[訳注]に協力を訴えた。植民地商売の先輩、ローズは、彼の地図上の国家を南アフリカから切り取るに当たって、その部分に自分の名前を付けた。それがローデシアである。

訳注:セシル・ローズ(一八五三~一九〇二)。イギリス生れ。南アフリカの金鉱山支配の経済力を背景に一八九〇年、当時のイギリス領ケープ植民地首相となり、イギリス政府特許会社、イギリス南アフリカ会社によりローデシア(現ザンビア、ジンバブウェ)へと侵略を拡大。一八九五年にはトランスヴァール侵略計画に失敗し、責任を問われて翌年、首相を辞したが、以後もアフリカ支配の黒幕を演じ続けた。

 テオドール・ヘルツルは一九〇二年一月一一日、ローズ宛てに、つぎのように書いている。

《お願いです。私の計画を吟味して、それに賛成するという主旨の手紙を下さい。ローズさん、貴方は、なぜ私が貴方に訴えるのかを不思議に思われるでしょうが、それは私の計画が植民地計画だからなのです》(『日記』)

 政治的で、国家主義的で、植民地主義的な教義、これらが、一八九七年秋のバーゼル会議で採択された政治的シオニズムを定義する三つの特徴である。天才的でマキャヴェリ的な創設者としてのテオドール・ヘルツルは、この会議の終了に当たり、十分な根拠を持って、《私はユダヤ人国家を創設した》(前出『回想録』)と語ることができた。

 半世紀を経て、第二次世界大戦の直後、実際に彼の弟子たちが彼の政策を忠実に実行し、彼の方法と彼の政策の路線に従って、イスラエル国家を創建した。

 しかし、この国家主義的かつ植民地主義的な政治的計画は、いかなる意味でもユダヤ人の信仰や精神の延長線上にはなかった。

 シオニストの会議がバーゼルで開かれたのは、(ヘルツルが予定した)ミュンヘンでの開催にドイツのユダヤ人団体が反対したためだったし、同時期(一八九七年)に別のユダヤ人団体がカナダでモントリオール協議会を開いていた。そちらでは、当時のアメリカ大陸におけるユダヤ人の中で最も代表的な人物、アイザック・メイヤー・ワイズ法師の提案によって、シオニズムによる旧約聖書の政治的かつ部族的な解釈に根本的に反対し、精神的かつ普遍救済的な予言者の解釈を擁護する動議が可決されていた。

 それにはこうある。

《われわれは、ユダヤ人国家の創設を企むいかなる提案にもすべて同意しない。この種の試みは明らかに、イスラエルの使命についての間違った考え方に起因している。……ユダヤの予言者は第一に、こう説いている。……ユダヤ教の目的は政治的なものでも国家的なものでもなくて、精神的なものであることを確認する。……ユダヤ教が目指しているのは、地上に神の王国を築くために、すべての人々が、まったく一体の偉大な共同体への参加を承認する救世主の時代の実現である》(『アメリカ法師中央協議会年度報告』)

 このような最初の反応の声が、“ドイツ法師協会”にはじまり、“フランス普遍救済イスラエル同盟”、オーストリアの“イスラエル同盟”、同じくユダヤ人ロンドン協会に至るまでのユダヤ人組織から、一斉に挙がった。

 このような政治的シオニズムへの反対の声は、ユダヤ教の精神への愛着から発しており、第二次世界大戦以後もその発言が止むことはなかったが、イスラエル・シオニズムは、国連において様々な局面での各国間の敵対関係を利用し、なかんずくアメリカの無条件な支持を得て、支配的な勢力として他を威圧することに成功し、ロビーの力によって局面を逆転させ、世論においても予言者の立派な伝統に対抗して、イスラエル・シオニストの優勢を勝ち取った。しかし、それでもなお、偉大な精神に満ちた人々の批判の封殺は達成できなかった。

 マーティン・ブーバーは、今世紀のユダヤ思想界を代表する偉大な人物の一人だが、その生涯を通じ、イスラエルで迎えた死に至るまで、信仰としてのシオニズムから政治的シオニズムへの退化と転倒を告発して止むことなかった。

 マーティン・ブーバーは、ニューヨークで、つぎのように明言していた。

《六〇年前に私が、シオニスト運動に加わった時に経験した気持ちは、基本的に私が現在感じているものと同じである。……私は、この国家主義が他者の轍を踏むことのないように、つまり、偉大な希望から出発しながらも、次第に聖なるエゴイズムへと堕落し、ムッソリーニのように敢えて自らサクロ・エゴイズムと自称したり、あたかも個人のエゴイズムよりも集団のエゴイズムの方がより聖なるものだと主張しはじめることのないようにと願った。われわれがパレスチナに戻った時に、決定的な疑問が投げ掛けられた。あなた方がここへ来たのは友人や兄弟としてなのか、近東の共同体の住民の一員となるためなのか、それとも、植民地主義と帝国主義の代表としてなのか?

 目的とそれを実現する手段の矛盾がシオニストを分裂させた。一方は、列強諸国から特別な政治的特権を許されることを望み、他方の、特に若者は、パレスチナで隣人たちとともに、パレスチナと未来のために働くことを許されるよう、ひたすら願った。……

 アラブ人との関係は、つねに完全無欠ではなかったが、それでも、全体としては、ユダヤ人の村とアラブ人の村の間に、良き隣人関係が作られた。

 パレスチナにおける定住のこのような有機的な局面はヒトラーの時代まで続いた。

 パレスチナに向けてユダヤ人の集団を押し出したのは、ヒトラーだが、その集団は、現地で働いて未来を築く準備のある選り抜きばかりではなかった。そこで、選り抜きによる有機的な発展が、安全を保障するために政治的な力を備えることが必要な集団的移民に引き継がれるようになった。……ユダヤ人の多数派は、われわれよりもヒトラーに学ぶ方を選んだ。……ヒトラーが示したのは、歴史が精神の道理ではなくて力の道理に従うものであり、人々が非常に強い場合には人を殺しても罰せられないという事実だった。……以上が、われわれの直面する戦いの状況である。……われわれが提案したのは、“イェフーディ”、……すなわち、ユダヤ人とアラブ人が一緒に暮らすことに満足するだけでなく協力し合うことだった。……そうすることによって、近東の経済的発展が可能になるし、その結果として、近東は、人類の未来への偉大で、かつ本質的な貢献を成し遂げることができるのである》(『ジューイッシュ・ニューズレター』58・6・2)

 彼は、一九二一年九月五日にカールスバッドで開かれた世界シオニスト機構の第12回総会における演説の中で、つぎのように語っていた。

《われわれはイスラエルの精神について語り、われわれはほかの国民とは似ていないと信じている。……しかし、もしもイスラエルの精神がわれわれの国家的なアイデンティティの総合以外の何物でもないとすれば、それは同時に、集団的エゴイズムを、正当化するためのおめかし以外の何物でもないことになる。……これでは、世界の神以外の主人を認めることを拒否してきたわれわれが、偶像崇拝者に変身し、他と同じ国民集団になり、彼らを陶酔させてきたものと同じ盃の酒を飲むことになる。国家は最上の価値のものではない。……ユダヤの民は、国家以上のものである。信仰に結ばれた共同体の仲間なのだ。

 ユダヤの民の宗教は根こそぎにされているが、これこそが一九世紀の半ばに生まれたユダヤ国家主義を兆候とする病弊の本質である。この種の新しい形態の土地への欲望は、現代のユダヤ国家主義が現代の西側諸国の国家主義からの借り物であることを顕著に示す柱石である。……

 イスラエル人の“選ばれた”という観念は、これらすべてのことにどう関係しているのだろうか?

 “選ばれた”というのは優越の意識を示すものではなくて、天職の感覚である。この意識は、他者との比較からではなくて、天命の自覚と、予言者が呼び掛けて止まない仕事をやり遂げようとする責任感から生まれるものなのである。もしも、あなた方が、神に従って生きるのではなくて、選ばれた存在であることを自慢するようなら、それは反逆罪なのである》

 ユダヤ教の精神の腐敗現象としての政治的シオニズムにおける“国家主義者の危機”を思い起こさせながら、彼は、つぎのように結論を下していた。

《われわれは、人々を偶像崇拝に陥らせる誤りから、ユダヤ国家主義を救い出したいと願ってきた。だが、われわれは、それに失敗したのだ》(『イスラエルと世界』)

 ユダス・マグネス教授は、一九二六年以来のエルサレムのヘブライ大学の学長だったが、パレスチナにユダヤ人国家の創設を要求する一九四二年の“ビルトモア計画”[本訳書の二六一頁に簡略な説明あり]を、《われわれをアラブ人との戦争に引き込むもの》(『シオンのために』)と見なしていた。

 彼は、エルサレムのヘブライ大学で二〇年間学長を勤めたが、一九四六年の新学期開始に当たっての開校演説の中で、つぎのように語っていた。

《最近のユダヤ人の声は銃口から発している。……銃口がイスラエルの地の新しい律法になっている。世界は腕力の狂気の鎖につながれてしまった。天なる神が今、われわれを、ユダヤ教とイスラエルの民を鎖でつなぐ狂気から守ることを願う。このユダヤの異教は、有力なディアスポラ[世界各国に散ったユダヤ人]の大部分を征服してしまった。シオニズムがまだ架空の物語だった時代に、われわれはシオンを、正義によってあがなわれるべきものと考えていた。すべてのアメリカのユダヤ人は、……たとえ、異教が導く企みに賛成したわけでなくて、座ったまま腕をこまねいていただけだとしても、……この間違い、この突然変異の責任を負わなくてはらない。道徳的意識には麻酔が掛けられ、萎縮を引き起こしている》(同前)

 アメリカ大陸では事実、ビルトモア計画が宣言されて以来、シオニスト指導者たちは最も有力な保護者を獲得していた。それはアメリカ合衆国である。世界シオニスト機構は、イスラエルの予言者の精神的な伝統に忠実なユダヤ人の反対意見を掃討し、先の戦争中のバルフォア意思表示の、精神ではないにしても用語に従えば、“パレスチナの「内部」に[in]ユダヤ人の『国民的郷里』[homeland]”となっていたもの以上の、パレスチナでのユダヤ人国家創設を要求していた。

 すでに一九三八年、アルベルト・アインシュタインは、この動向を咎めていた。

《私の意見では、ユダヤ人国家を作るよりも、平和な共同生活についてアラブ人の同意を得る方が、道理にかなっている。……私がユダヤ教の本質的な特性として理解する良識は、控え目にみても、国境や、武器や、世俗的政権の計画を持つ国家という概念とは相容れない。私は、[国家の]発展の論理によって、仲間内の狭い国家主義によってユダヤ教が内的に受ける被害を恐れる。われわれは、マカビー[またはマカベア。紀元前二世紀のユダヤ教徒による王朝]時代のユダヤ教徒とは同じではない。再び政治的な概念としての国民に復帰することは、われわれの予言者の創意の賜物である共同体の精神的環境から離れるのと同じことである》(『わが時代のユダヤ教の堕落』)

 ユダヤ人国家創設の呼び掛けは、以後のイスラエルによる国際法の度重なる蹂躙なしに済むものではなかった。

 実例を二つだけ挙げるに止めるが、これらは単に、何百万ものユダヤ人が考えていながら、イスラエル=シオニスト・ロビーによる知的な異端糾問の下では、公然と話し得なかったことを、大きな声で語っただけにすぎない。

 一九六〇年、エルサレムでアイヒマン裁判が進行していた当時、ユダヤ教アメリカ評議会は、つぎのような声明を発した。

《ユダヤ教アメリカ評議会は昨日の月曜日、イスラエル政府にはすべてのユダヤ人を代表して語る資格はないと告げる手紙を、クリスチャン・ヘルター氏に送った。本評議会は、ユダヤ教は宗教に関するものであって、国家とは何等の関係がないことを声明する》(『ル・モンド』60・6・21)

 一九八二年六月八日、イスラエルがレバノンを侵略して流血の惨事を繰り広げていた最中、テル・アヴィヴ大学のベンジャミン・コーヘン教授は、ヴィダル・ナケに対する手紙の中で、つぎのように記していた。

《私は今、“われわれ”がレバノンで“われわれの目標を達成しつつある”というトランジスター・ラディオのアナウンスを聞きながら、この手紙を書いている。

 ガラリアの住民に“平和”を保証するためだというのだが、この種のゲッベルスに相応しい嘘は私を発狂させる。この野蛮な戦争が、いかなる先例よりも野蛮で、ロンドンの誰かの意図とも、ガラリアの安全保障とも、何の関係もないことは明らかだ。……ユダヤ人、アブラハムの息子たち、……自分自身が数々の残虐行為の被害者だったユダヤ人が、なぜこのように残酷になれるのだろうか?……シオニズムの最も偉大な功績はユダヤ人の、……“非ユダヤ人化”でしかなくなる。

 親愛なる友人たちよ、ベギンやシャロンのような輩が、彼らの二重の目的、つまり、民族としてのパレスチナ人に対してと、人間的存在としてのイスラエル人に対しての、最終的な清算(これが当地での最近流行の表現だ)の達成を阻止するために、できるだけの力を尽くしてほしい》(『ル・モンド』82・6・19で公表された手紙より)

《ライボヴィッツ教授は、レバノンに対するイスラエルの政策をユダヤ=ナチズムと命名している》(『イディオット・アハロノート』82・7・2)

 ユダヤの予言者の信仰と、すべての国家主義と同様に他者の排除と自らの神聖化に基礎を置くシオニストの国家主義との間では、このように際どく、のっぴきならない局面における論争が交わされていたのである。

 すべての国家主義は自らの口実の神聖化を欲する。キリスト教世界の分解後、国民国家は、それぞれ自らが神聖な継承権を得ており、神から聖職を授与されたと称してきた。

 フランスは、“教会の姉娘”であり、その立場で神(Gesta Dei per Francos)の事業を成し遂げるのである。ドイツは、神がともにある(Gott mit uns)がゆえに“すべての上にある”のである。エヴァ・ペロンが、《アルジェンチンの使命は神を世界にもたらすことにある》と宣言したかと思えば、一九七二年になると今度は、あの野蛮な“アパルトヘイト”で名高い南アフリカのフォルスター首相が、《われわれが使命を託された神の民であることを忘れてはならない》と予言するような有様である。

 ……シオニストの国家主義は、すべての国家主義とともに、この種の酩酊感を分かち合っている。

 最も聡明な部類の人々でさえも、この“酩酊感”に身を任せている。

 アンドレ・ネヘル教授のような人物でさえもが、その壮麗な著書、『予言の本質』(72)の中で、神と人間との契約の普遍救済的な意味を見事に喚起しながら、イスラエルについて、《この世界における神の歴史の最も優れた顕れである。イスラエルは、世界の背骨、神経、中心、心臓である》とまで記すに至っている。

 この種の論議は迷惑なことに、そのイデオロギーが汎ゲルマン主義やヒトラー主義の基礎となった“アリアン神話”を思い出させる。この軌跡は人々を、予言者や、マーティン・ブーバーの賞嘆すべき『私と君』[邦訳書では『我と汝』]の教えの、真反対に導くものである。

 排他主義は対話を妨げる。誰しもヒトラーや、ベギンとは、“対話する”ことは不可能である。なぜならば、彼らの人種的な優越主義、および神との排他的な契約関係は、彼らに、他者から何かを得ることを許さないからである。

 われわれは現在、対話か戦争かの二者択一しかないことを意識しているが、対話が成立するためには、その出発点として、われわれがつねに繰り返して止まないように、それぞれが自分の信念に何らかの不足があり、その空白を他者に満たしてもらう必要があると意識しなければならない。その空白の存在こそが、充実(それがすべての生き生きとした信念の中心となる心である)を求めるすべての跳躍と、すべての願望を生む条件なのである。

 シオニストの犯罪についての私のこの論集は、部族的なシオニズムからユダヤ教の予言を守ろうと試みてきた多くのユダヤ人の努力の延長線上にある。

 反ユダヤ主義を育てているのは、イスラエルにおけるシオニズムの侵略、欺瞞、流血の政策に対する批判の方ではなくて、ユダヤ教の偉大な伝統を言葉いじりの解釈で歪め、自らの政策の正当化に都合の良い部分だけを選択し、過去と現在の神話によって祭り上げ、国際法の上に置こうとする政策に対する無条件の支持の方なのである。


(7)第1章第1節:約束の神話/約束の土地か、征服した土地か?