『我が闘争(抄訳)』の全文
若き闘争者
私はこの教師の下でドイツ氏を学んだことに依って、オーストリア王朝が、如何にドイツ人を冷遇しているかを判然知ることが出来た。この時からして私は、ハプスブルグ王家の敵たる立場に立ったのである。
オーストリアは我々をドイツ人として愛することが出来なかった。ハプスブルグ王家は機会ある毎に、チェッコ人をこれ見よがしに好遇した。只単にそうした表面的な事実だけではなく、オーストリア人の中には、押え切れぬ反独的な気運さえも根強く醸成されつつあったのである。
ドイツ人は背負い切れない程の重荷を背負わされた。税金に於ても血税に於ても、想像を絶した大きな犠牲が、次から次へと要求されたのである。しかもこれを助長した原因は、実にドイツとオーストリアとが同盟関係を結んだからに外ならなかった。このことは、ドイツ自身が、自ら手を下さずしてオーストリアに於けるドイツ人を去勢し、衰滅させることになったのである。しかも飽くまで偽善的なオーストリア王朝は、この国が依然としてドイツ国家であると云う印象を外国に与えることに、まんまと成功していた。
当時のドイツの指導者は、この偽りの裏の事実に対して、何一つ知るところがなかったのだ。そして新興ドイツ帝国と、古い偽者のオーストリアとの間に結ばれた、かかる芝居じみた同盟が、遂に彼の世界大戦争を捲き起す最初の導火線となったのである。