我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文正当防衛の権利
悲惨なる降伏者
洞察力の鋭い勝利者は、如何なる場合にでも、その敗北者に対する要求の形を「なし崩し」の方法に求める。
一度に苛酷な要求を突きつけることは、敗者の反抗と憤懣とを買って、再び敗者に抵抗の勇気を喚び戻させ、一朝にして昨日の勝利者が今日の敗北者となった実例は、歴史の随所に見出されるからである。その反対に済し崩し的に一つ又一つと要求して行けば、敗者は一つの要求を満たしてやるという比較的軽い気持になって、容易にそれを受諾する。しかし、気がついた時には既に勝者の望んでいた要求がいつの間にか大方叶えられて居り、それに対して起ち上る力は、敗者の体から抜き取られて了っているものなのである。
カルタゴが亡びたのもこの例であった。一世を風靡したカルタゴも、この巧みな敵方の要求に誘われ遂に再起不能の衰弱体にされてされてしまったのであった。
ドイツの場合に於ても正に然りであった。休戦となった時、ドイツ国内にそれを振りもぎって敵と戦い得る勇気を持った指導者がいなかったにも依るが、一つには連合国側の要求が、ドイツ国民の感情を爆発させない様な、慎重な考慮の下になされたことを明瞭に見得るのである。斯くてドイツが気づいた時には、完全に武装解除をされた丸腰の国となって居り、凡ての方面に於て奴隷的地位に甘んじなければならない弱小国となり果ててしまっていたのである。
フランスは実にこの目的のためのみに戦って来たのだ。そのことをドイツ国民はもっと早く気付くべきであった。気づかなかったがために、ドイツはフランスの思う壺に嵌められてしまった。せめてもの取柄は、ドイツ軍が常にフランス領内で戦っていたという点だ。あれが若し逆にドイツ領内をドイツ領内を戦場としていたなれば、ドイツは単に弱小国となるばかりでなく、疾の昔に影も形もない分散国家にされていたに違いない。その意味から云えば、我々の同法の幾百万が流した尊い血は、決して無意義ではなかったのである。