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ビルケナウ・カレンダー

――ドイツ側資料と絶滅物語――

歴史的修正主義研究会編

最終修正日2007年03月13日

 

 

当研究会は、ビルケナウ収容所の事件誌を、同時代のドイツ側資料にもとづく諸事件(左欄)、ホロコースト正史の絶滅物語にもとづく諸事件(右欄)を対比しながら、年代順に整理してみた。ただし、当研究会は、ロシア、ドイツ、ポーランドの文書館で公開されている同時代のドイツ側文書のオリジナル原本に直接アクセスして、それを検証する能力を持ち合わせていない。修正派のマットーニョや正史派のプレサックなど、とりわけ、ソ連崩壊後に公開されるようになったモスクワの文書館で研究を進めた研究者たちの業績を参照したにすぎない(それゆえ、ドイツ側資料はこうした諸業績からの重複引用にすぎないので、文書典拠番号の記載は省略している)。この意味で、この「ビルケナウ・カレンダー」は、当研究会の研究・整理ノートにすぎない。また、不正確な箇所も多いので、随時、修正・加筆していく予定である

なお、マーカー部分[・・・・・・]内のコメントは当研究会が付したものである。

 

月日

同時代のドイツ側資料にもとづくビルケナウ収容所

ホロコースト正史のビルケナウ収容所絶滅物語

42/

5

[ブンカー1=『赤い家』なる呼称はドイツ側資料にはまったく登場していない。]

「のちに『ブンカー1』とよばれるようになる建物は、2つの部屋から構成され、機械的な換気装置なしで稼働した。ガス処刑された犠牲者の死体はビルケンヴァルト森の空き地に埋められた。」(プレサック)[1]

 

5月、ヘスは、ビルケナウの灌木の端にある小さな小屋(『赤い小屋』)を新しいガス室に選んだ。それは修理中の最初の焼却棟の死体安置室に取って代わるものだった。60-80㎡のこの家は、2室から構成されており、その中に500名が押し込まれた。ドアは密閉されており、窓は覆われており、小さな開口部がチクロンBの投入のために開けられていた。2つの部屋からガスを排気するための機械的換気装置は設置されていなかった。処刑は夕方行われるはずであった。そして、すべての囚人が死んだのちに、ドアが開けられ、一晩中開けられたままであった。夜明けになって、死体を安全に運び出し、灌木のなかの埋葬地に運ぶことが可能となった。ブンカー1として知られるようになるこの施設は、その月に稼働し始めた(1942年5月)。」(プレサック)[2][プレサックの記述のもととなっているヘス証言は、ブンカー1は800名を収容したと述べているが、プレサックは、この数字が誇張であるとして、500名に『修正』している]

42/

5/5-11

 

「ブンカー1のガス室で、ドムブロワ、ベンドスブルク、ワルテナウ、グライヴィツ・ゲットーからの約5200名のポーランド系ユダヤ人が死んだ。」(チェク)[3][農家を改造した換気装置もない60-80㎡の『殺人ガス室』が、1週間たらずで、約5200名を処刑した???]

42/

5/12

 

「ビルケナウのブンカー1で、ソスノヴィツから移送された1500名のユダヤ人男性、女性、子供たちがチクロンBガスで殺された。」(チェク)[4]500名しか収容できず、しかも、換気に一晩かかったブンカー1で、どのようにしたら1500名をガス処刑できるのであろうか?]

42/

6月初頭

[ヒムラーがヘスをベルリンに召喚して、アウシュヴィッツを絶滅センターとせよと命じたとする件も、ドイツ側の文書資料にはまったく登場していない。ヘスの戦後『証言』、『自白』のなかに登場しているだけである。さらに、ヘスは、この事件を『1941年の夏』としている。]

「ヒムラーはヘスをベルリンに召喚した。SS全国指導者は、ヘスの収容所がユダヤ人絶滅用となることを伝えた。」(プレサック)[5]

 

このときまで、アウシュヴィッツはユダヤ人を殺害するにあたってはまったく周辺的な役割しか果たしていなかった。中央建設局の文書館の資料の証拠は、収容所を虐殺目的で使い始めたのは、やっと1942年6月からのことであったことを示している。この結論は、ヒムラーがヘスにビルケナウは1941年夏に殺人センターとなると述べたという1946年のヘス証言と矛盾している。われわれが研究した証拠は、ヘスが1941年と1942年を混同したことを示している。ヒムラーは、1942年6月初頭に、収容所の将来の使用に関して伝えるために、ヘスをベルリンに召喚したに違いない。アウシュヴィッツを選択した一つの条件は、…収容所のすばらしい鉄道関係である。しかし、もう1つの重要な要因が1941年末に登場した。1日に1440名(あるいは800名にすぎなかった)焼却する能力を持った特別な焼却棟の存在である。ヒムラーがアウシュヴィッツに関心を寄せたのは、この2つの条件の結びつきであった。」(プレサック)[6][プレサックの解釈では、ヒムラーがアウシュヴィッツ収容所を絶滅収容所とする命令を出す以前に、ブンカー1では、『大量ガス処刑』がすでにはじまっていたことになる。]

42/

6

[ブンカー2=『白い家』なる呼称はドイツ側資料にはまったく登場していない。]

「のちに『ブンカー2』とよばれるようになる建物は、5つの並行した部屋から構成され、合計床面積は105㎡で、機械的な換気装置なしで稼働した。ブンカー2では労働不適格なユダヤ人がガス処刑された。」(プレサック)[7]

 

「ブンカー1からさほど離れていないところに、白壁のもう1つの農家があった。105㎡で、『赤い小屋』よりもわずかに大きかった。ヘスは、そこをブンカー1とおなじようにガス室に改造することにした。そこには800名を収容することができた。」(プレサック)[8][プレサックの記述のもととなっているヘス証言は、ブンカー2は1200名を収容したと述べているが、プレサックは、この数字が誇張であるとして、800名に『修正』している]

42/

6/20

 

「ビルケナウのブンカー1で2000名のユダヤ人男性、女性、子供たちがガス処刑された。彼らはソスノヴィツ・ゲットーからやってきていた。」(チェク)[9]500名しか収容できず、しかも、換気に一晩かかったブンカー1で、どのようにしたら約2000名をガス処刑できるのであろうか?]

42/

7/17-18

ヒムラーがアウシュヴィッツを訪問して、ビルケナウの拡張を指示。

 

 

「ヒムラーは、労働不適格なユダヤ人を殺し、軍需工場の建設を準備し、農業実験を集中的に行なうために、ビルケナウ収容所の建設を進めるように、ヘスに指示した」(チェク)[10]労働不適格なユダヤ人を殺せというヒムラーの指示は、ドイツ側資料にはまったく登場していない。]

42/

7/22

発生した疫病を鎮圧するために、ガス処理による収容所の害虫駆除用の必要資材を搬送するために」、デッサウにトラックを派遣する許可。

931名のユダヤ人が国家保安中央本部の移送で、ヴェスターボルクから到着。選別後、…その他の115名がガス室で殺された。」(チェク)[11]

42/

7/23

アウシュヴィッツに、防疫のための全面的な「収容所封鎖」措置。(守備隊命令)

 

42/

7/29

殺菌駆除に緊急に必要なガス」を調達するためにデッサウにトラックを派遣する許可。

「チクロンBはガス室での殺害と建物の殺菌駆除双方に使われた。」(チェク)[12]

42/

8/1-19

チフスの蔓延。

ビルケナウ収容所の平均収容人員:わずか22900名。

 

42/

8/03

「拡張計画は、全国指導者が1942年7月17/18日に訪問したとき、C局長・SS少将・武装SS少将カムラー工学博士によって検討されています。…さらに、検疫収容所の隣に位置する新しい焼却棟[単数]の場所も確定されました。」(中央建設局長ビショフからSS経済管理本部へ)

 

ビショフ、「ビルケナウの囚人の特別措置のための4棟のバラック」を建設するための予算をSS経済管理本部に請求

SS収容所医師が囚人診療所で選別を行なった。彼はチフスに感染した193名の囚人を選別した。彼らはビルケナウに送られてガス室で殺された。」(チェク)[13]

 

 

 

「ブンカー1と2用の脱衣室」(プレサック)[14][特別措置=ガス処刑というコード言語説の採用]

42/

8/12

本日、青酸ガスによる毒に汚染された軽い症状のケースがあったが、このために、ガス処理の関係者全員、とくに、マスクをつけないでガス処理Vergasungのための部屋を開ける仕事に従事するその他すべてのSS隊員に、少なくとも5時間待機し、ガス室から少なくとも15mの距離を保つように警告しておかなくてはならない。さらに、風向きにはとくに関心を向けるべきである。」(所長ヘスの特別命令)[チクロンBを使用した害虫駆除処理はVergasung、このための部屋はGaskammerと呼ばれていた]

この文書はこれまでは、殺人ガス室の実在を示す破滅的な証拠とみなされていたが、今日では、それをそのように考えることはできない。この命令の42部のコピーが収容所の各部局と半官半民の企業にまで配布されていることは、そこにはまったく『秘密』がないことの証拠であり、それとは逆に、この当時、ガス処理が収容所全体に関係していたことの証拠である。」(プレサック)[15][きわめて正しい指摘]

42/

8/15

 

中央建設局、20万名の収容人員を見越した「上部シュレジエン・アウシュヴィッツ捕虜収容所図面」を作成。

「中央建設局長ビショフSS少佐は、20万名の捕虜を見越した追加的建設計画を承認する。アウシュヴィッツでユダヤ人を大量絶滅すると同時に、アウシュヴィッツを、ドイツの軍需産業用に、移送集団から選別されたユダヤ人囚人の労働力の基地として利用するとの決定との関連で、以前の図面を修正し、囚人用の臨時の宿舎を確保し、ならびに適切な絶滅施設を建設しなくてはならなかった。」(チェク)[16]

42/

8/19

8つの燃焼室をもつ2つの炉をモギリョーフからアウシュヴィッツに移送するとのトップ社主任技師プリュファーの提案が認められる。

 

42/

8/21

5つの3燃焼室炉をもつ二番目の焼却棟の建設に関して、資材の割り当てについて国家保安中央本部との交渉が進められているが、その結果をまずはっきりさせなくてはなりません。」(エルトルSS少尉の会議要録)[焼却棟の建設はまだ資材割り当て中]

1000名のユダヤ人がドランシーから、国家保安中央本部のフランスからの21の移送で、到着。選別後…その他の817名の移送者は、ガス室で殺された。」(チェク)[17]

42/

8/26

特別処置用の資材」の調達のためにデッサウにトラックを派遣する許可。[特別処置=衛生保健処置]

8月26日と9月14日、ビルケナウでの労働不適格者の清算を意味する『特別処置』『特別行動』のために、大量のチクロンBを購入することが許可された。」(プレサック)[18][「特別措置=絶滅」というコード言語説の採用、本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問002 を参照]

42/

8/27

「同封の収容所図面は、捕虜収容所を20万人の収容人員にまで拡張するという最近の決定を念頭においたものです。」(アウシュヴィッツ建設局長ビショフからSS経済管理本部あて書簡)

 

42/

8

収容所での8月の月間死亡者数:8600名(前月7月のほぼ2倍)[チフスの蔓延]

 

42/

9/2

1942年9月2日:今朝の3時、私ははじめて、外で特別行動に立ち会った。これに比較すると、ダンテの地獄など喜劇にすぎないように私には思われる。」(クレマー日誌)[ここでの特別行動とは、チフスの蔓延を防ごうとしていた収容所当局による、移送者に対する害虫駆除、病人の隔離といった衛生保健措置を指している]

「特別行動とは、選別とガス室での殺人のことであったのことであった」(クラルスフェルト)[ガス処刑は戸外で行われたのであろうか???]

42/

9/5

1942年9月5日:午後、女性収容所(『モスレム』)での特別行動に立ち会った。恐怖の中でもっとも恐ろしいものであった。軍医のチローSS曹長は、われわれは『世界の肛門』にいると話していたが、それももっともである。夕方8時ごろオランダ出身の人々に対する別の特別行動があった。人々はこの行動に争って参加しようとした。1.5リットルのウオッカ、5本のタバコ、100グラムのソーセージとパンという特別配給を受けたからである。」(クレマー日誌)[クレマー日誌には「ガス室」とか「ガス処刑」という用語は一切登場していない。彼が、ガス処刑の現場にいたと「自白」するのは、戦後の裁判においてである]

 

42/

9/15

ベルリンで、シュペーア軍需大臣とSS経済管理本部長ポールSS大将、SS経済管理本部C局長ハンス・カムラーSS少将たちの会議。 「この追加計画が完了すれば、合計13万2000名がアウシュヴィッツでは収容できることになります。…出席者全員が、強制収容所の労働力を大規模な軍需的課題のために使うべきことに合意しました。…私たちは、既存の施設の能力と建設が、人員の恒常的な変化によって悪い影響を被らないようにするために、アウシュヴィッツでのこの目的に必要な労働力を、東部移住者から選別するつもりです。したがって、東部移住に予定されている強壮なユダヤ人は、その移住を中断され、軍需施設で働くことになります。」(ポールの会議報告)[したがって、労働不適格な移送者は移住を継続]

 

42/

9/23

SS経済管理本部長ポールがアウシュヴィッツを視察し、疫病防止のために、浄水施設の設置を提案

1000名のユダヤ人が、国家保安中央本部のフランスからの35の移送で、ピティヴィエールから到着。選別後…その他の641名の移送者は、ガス室で殺された。」(チェク)[19]

42/

10/2

ユダヤ人再定住用の資材」の調達のためにデッサウにトラックを派遣する許可。

SS経済管理本部は、デッサウにトレーラー付きの5トン・トラックを派遣し、『ユダヤ人再定住用の資材』を調達することをアウシュヴィッツ当局に認めた。これは、毒ガス・チクロンBの婉曲語法であった。」(チェク)[20][「再定住=絶滅」というコード言語説の採用]

42/

10/25

 

988名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、オランダから到着。選別後、…935名がガス室で殺された。」(チェク)[21]

42/

10/28

収容所図面によると、囚人の衛生保健措置のために、「特別措置のための」1000㎡の「害虫駆除施設」を建設予定。[特別措置=囚人の衛生保健措置]

 

42/

10月末

中央建設局、「計画:アウシュヴィッツ捕虜収容所(特別処置の遂行)」作成。

 

1942年10月末頃、1941年12月に焼却棟Ⅰの死体安置室で採用されたのと同じようなやり方で、ブンカー1と2でのガス処刑を、機械的な換気装置のついた焼却棟の部屋に移すという、きわめて合理的な着想が生まれた。」(プレサック)[22][文書資料的根拠はまったく存在しない]

42/

12/16

焼却棟ⅡとⅢに関する中央建設局の図面2003に「道路側への地下室の入り口の再配置」との記載。

「デヤコ自身が書いた建設局図面2003は、焼却棟Ⅱの計画の進化の中でもっとも重要なものであり、3つの地下死体安置室に死体を供給する死体滑降路を備えた『通常の』焼却棟から、論理的に犯罪的としか考えられない『異常な』施設への過渡的段階を示している。…死体を運ぶために設計された滑降路を普通の階段に取り替えたことは、もしも、死体がまだ生きているうちに、階段を歩いて下っていくのでなければ、すべての論理を無視している。しかし、地下が生きている人々で満たされるとすると、『死体安置室』の機能とは何であろうか。」(プレサック)[23]

 

12月19日、デヤコは、地下室のために新しい図面(2003)を作成し、このときに、大きな『建築学上のへま』を行なった。新しい図面のキャプションによると、階段は死体安置室への唯一のアクセスとなっている。これは、死者は階段を歩いて降りていかなくてはならないことを意味していた。」(プレサック)[24]

 

彼[デヤコ]は、当初の計画では地下の死体安置室へのおもなアクセス口であった死体滑降路を取り除いてしまった。生きた人間が階段を下ることになったのである。死者の死体は滑降路ですべり落とされるはずである。犠牲者は歩いて死に場所に向かうことになった。」(ペルト)[25][プレサックもペルトも死体滑降路の消滅と、地下室への入り口の配置の変更を、焼却棟ⅡとⅢの地下室が絶滅施設となった証拠として非常に重視しているが、死体滑降路は消滅していないし、入り口の配置が変更されたのも、もともとアウシュヴィッツⅠに建設予定であった焼却棟の図面が、ビルケナウに建設する焼却棟の図面に転用されたためであった。参照:43/3/31と43/5/7]

42/

12/17

1942年12月8日の照会に関して、中央建設局は、来るべき3ヶ月間は、収容所の検疫封鎖を解除することはできないであろうことをお知らせいたします。疫病を鎮圧するすべての措置が作動していますが、新たな発生を根絶するにはいたっていないからです。」(ビショフからビエリッツの「兵員登録局、W課」へ)

 

SS守備隊医師の命令に応じて、1942年12月19日土曜日、民間人従業員に対する最初の害虫駆除・殺菌消毒措置が行なわれます。このために、強制収容所の殺菌駆除装置を利用しなくてはなりません。同じように、1942年12月22日から、民間人従業員の個別的な害虫駆除が行なわれます。ですから、所長の承認が必要です。」(ビショフからヘスへ)

「約2000名のポーランド系ユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、プオンスク・ゲットーから到着。選別後、…1220名がガス室で殺された。」(チェク)[26][チフス対策のための検疫封鎖中のガス処刑???]

 

42/

12/18

ゲシュタポは1942年12月16日、アウシュヴィッツの「すべての民間人労働者に対する特別行動」行ないました。」(ビショフからカムラーへ)

「収容所当局が民間労働者の何名かを処刑することで例を作ろうとしていたということはまったくありうる。メモが『極秘』となっていることもこれによって説明できる」(ツィンマーマン)[27][これも、特別行動という単語に何とかして犯罪的な意味をもたせたいとするホロコースト正史派の願望の現われ。実際には、[特別行動]とは、チフスによる収容所隔離状態の中で不満をつのらせていた、収容所建設に従事する民間労働者に対する尋問調査のこと]

42/

12/28

収容所の医師団は、自分たちの持っているあらゆる手段を使って、収容所での死亡率がかなり低くなるようにするであろう。…収容所の医師は、以前よりも注意深く、囚人の栄養状態に配慮し、収容所長の行政的措置に対応しながら、改善策を提案すべきである。こうしたことは、紙の上だけではなく、収容所の医師団によって定期的に監察されるべきである。…SS全国指導者は、収容所の死亡率を是が非でも低くするように命令している。」(SS経済管理本部D局長グリュックスから各強制収容所所長あて指示)

 

43/

1/8

1943年1月4日の無線電信で、DⅢ課長は、アウシュヴィッツ強制収容所の検疫封鎖が依然と同じように効力を持ち続けると伝えてきている。」(ヘスの通達)

 

 

43/

1/9

カトヴィツの市行政長、チフス患者をアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に搬送する許可をヘスに求める。[周辺地区もアウシュヴィッツの害虫駆除能力、チフス対策に期待]

 

「上記のことから見て取ることができますように、衛生施設の充実という課題はかなり実現されてきました。民間人従業員用の通過バラックが稼動すれば、いついかなるときでも、数多くの人々の殺菌消毒・害虫駆除を行なうことができるようになります。」(ビショフからカムラーへ「アウシュヴィッツ強制・捕虜収容所の衛生施設」)

 

43/

1/13

ヘス、カトヴィツの市行政長の1月9日のチフス患者搬送許可要請を拒否(「病気の囚人を受け入れることで、新しくチフスの疫病が発生してしまう危険性が非常に大きくなってしまいます」)。

1000名のポーランド系ユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、ベルリンから到着。選別後、…873名がガス室で殺された。」(チェク)[28]

43/

1/18

中央収容所ブロック1の温風駆除装置、「捕虜収容所男性・女性殺菌駆除バラック」すなわちバラック5aと5bの温風駆除装置、「兵員害虫駆除施設」の装置が、火事のため、稼働停止。(ビショフからヘスへ)[収容所の害虫駆除機能の大幅低下、収容所当局は、焼却棟の死体安置室1を臨時の害虫駆除室とする可能性を模索]

「約2000名のポーランド系ユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、ザムブオフ・ゲットーから到着。選別後、…1870名がガス室で殺された。」(チェク)[29]

43/

1/21

カトヴィツ警察署長、チフスで死亡した患者の死体をアウシュヴィッツ収容所に搬送することを決定。)

[周辺地区のチフス死亡者もアウシュヴィッツで焼却]

 

1. SS守備隊医師は、ビルケナウの焼却棟の新しい建設計画の中にある解剖室を2つの均等な部屋に分割し、第一の部屋には1つか2つの洗面台を設置することを要請します。第一の部屋は解剖室専門に使用されますが、第二の部屋は、解剖の準備、書類・筆記資料・書籍の保管のため、および、カラースライドの作成のため、顕微鏡作業のために必要なのです。

2. さらに、地下室の中に脱衣室を設置することを要請いたします。」(SS収容所医師ヴィルツからヘスへ)[収容所医師が死体安置室の中への脱衣室の設置を要請]

「約2000名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、グロドノから到着。選別後、…1713名がガス室で殺された。」(チェク)[30]

43/

1/23

「地下室Ⅱ。鉄筋コンクリート天井の完了(型枠の除去は天候次第)。」(中央建設局長ビショフの「捕虜収容所の焼却棟の建設状況」報告)

「約2000名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、グロドノ・ゲットーから到着。選別後、…1574名がガス室で殺された。」(チェク[31]

 

43/

1/25

「アウシュヴィッツ強制収容所SS守備隊医師からの命令を考慮して、建設局宿舎バラックに居住している中央建設局のすべてのSS隊員は、3週間の検疫封鎖措置の対象となる。」(ビショフの内部指令)

 

43/

1/29

「死体安置室2の型枠は、凍結のために除去できていません。」(トップフ社の技師プリュファーの報告)

 

「死体安置室2は天井の型枠の除去をのぞいて、完成している。除去には凍結以上に気温が上がることが必要である。」(SS中尉キルシュネクの会議要録)

 

「焼却棟Ⅱは、非常な困難と凍結にもかかわらず、全力を投入した昼夜兼行の努力によって、ちょっとした建設作業を別にすれば、完成しました。

建設にあたったエルフルトのトップフ・ウント・ゼーネ社の主任技師プリュファー氏の前で、焼却炉は火を入れられ、完璧に稼動しています。

死体安置室の鉄筋コンクリート製の天井は、凍結の影響のため、まだ型枠が撤去できません。とはいえ、これはたいしたことではありません。というのは、その目的のためには、Vergasungskellerが利用可能だからです。」(ビショフからカムラーへ)[死体安置室2は利用できないが、臨時の害虫駆除室(Vergasungskeller)として予定されていた死体安置室1を死体安置室として利用できるということ]

「焼却棟の犯罪的改築が進むにつれて、SSと民間人は作業を進めていくにあたって殺人施設に正確な呼び名を与えなくてはならなかった。そのために、彼らは、意図的にせよそうではないにせよ、初めて、『へま』をせざるをえなかったのである。」(プレサック)[32]Vergasungskellerが『殺人ガス室』であるとすると、チフスなどで死亡した囚人の死体はどこに保管したのか?また、この時点では、トップフ社は換気システムをまだ配送していなかったので、そもそも、死体安置室1を『殺人ガス室』として機能させることはできない。本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問003 を参照]

 

「トップフ社の主任技師プリュファーは、ビルケナウの焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴを視察し、焼却棟Ⅱは1943年2月15日に稼働開始できるが、焼却棟Ⅲは早くても1943年4月17日に稼働可能となること、焼却棟Ⅳの建設は1943年2月28日までに終わるはずであること、焼却棟Ⅴの完成は天候次第であることを確認した。」(チェク)[33][だとすると、これ以前のガス処刑すべては、アウシュヴィッツⅠの焼却棟か、農家を改造したとされるブンカーで行なわれたことになる]

43/

2/2

ベルリンのハンス・コリ社、「アウシュヴィッツ強制収容所用の害虫駆除装置」、「アウシュヴィッツ強制収容所用の温風駆除装置に必要な鉄」、「アウシュヴィッツ強制収容所用の温風駆除装置のコスト見積もり」をSS経済管理本部に伝える。

 

「装置は壊れそうであり、それを防ぐために、既存の殺菌駆除施設用に、銑鉄の温風装置の導入が考えられている。製造元と交渉した結果、3週間以内にこれらの装置を導入することが可能であることがわかったので、疫病鎮圧措置をとることが可能である。火事の発生原因の大半は、オーバーヒートであったので、このような施設を利用するにあたっては、それに応じた指示を遵守させることが絶対に必要である。」(SS経済管理本部C/Ⅵ課長アイレンシュマルツSS大佐の「殺菌駆除施設」に関する報告)[害虫駆除装置の酷使]

1265名のポーランド系ユダヤ人が、特別列車Pj-105で、プルザナ・ゲットーから到着。選別後、…95名の子供も含む866名がガス室で殺された。」(チェク)[34]

43/

2/11

SS経済管理本部D局長グリュックス、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の全面封鎖を決定

 

中央建設局、「2つの害虫駆除炉」を中央サウナのためにトップ社に発注。

 

中央建設局、焼却棟Ⅱ、Ⅲの死体安置室1に「木製の送風機」を設置することに言及。[結局は金属製の送風機となる。参照:43/3/25]

 

1184名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のオランダからの移送で、ヴェスターボルクから到着。選別後、…その他の1005名がガス室で殺された。」(チェク)[35][全面検疫封鎖中のガス処刑???]

 

これは死体安置室がガス室として使われたことを確証している。ビショフとプリュファーは、濃縮されたシアン化水素(1㎥あたり20g)が混じった空気の排気には非腐食性の換気扇が必要であると考えた」(プレサック)[36]

43/

2/20

焼却棟Ⅱ、公式には引き渡されてはいないが、焼却作業を開始。

 

1000名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、ベルリンから到着。選別後、…その他の775名がガス室で殺された。」(チェク)[37]

43/

2/26

「協議されたように10個のガス検知器の即時の搬送。コスト見積りはのちに。」(中央建設局からトップフ社へ)[参照:43/3/2]

 

「中央建設局は2月26日の電報のなかで、ガス室は検知器なしでは完成させることができないので、ガス検知器をすぐにアウシュヴィッツに配送するように強く要請している。」(プレサック)[38][シアン化水素ガスの痕跡の検知は、「シアン化水素ガスの痕跡を示す器具」によって行なわれたのであり、このガス検知器はシアン化水素ガス用ではない。本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問010 を参照」

43/

3/2

「われわれは、『協議されたように10個のガス検知器の即時の搬送。コスト見積りはのちに』というあなた方の電報を受け取ったことを確認します。

また、われわれは、すでに2週間、あなた方のお求めのシアン化水素の痕跡を示す器具(Anzeigegeräte für Blausäure-Resteについて5社にあたったことをお知らせします。3社からは否定的な解答を受け取り、残りの2社については回答を待っています。」(トップフ社から中央建設局へ)[この時期、死体安置室1は臨時の害虫駆除室として利用することが考えられていたので、通常の害虫駆除室と同じように、シアン化水素ガスの痕跡を示す器具が必要であった]

 

リーデル社の焼却棟ⅣとⅤの作業報告のなかに、「床が固い盛り土で覆われ、敷き詰められ、ガス室の床にコンクリートを敷く」という記述が登場。

「この手紙は焼却棟Ⅱのなかに致死性のガス室が存在したもう一つのリークである。」(プレサック)[39]

[致死性のガス室=「殺人ガス室」???]

 

「約1500名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、ベルリンから到着。選別後、…その他の1335名がガス室で殺された。」(チェク)[40]

 

 

 

 

 

「これまで発見されたことがなかった『Gas[s]kammer』という単語――私以外の人々は決定的であると考えていた――に当初与えられた高い価値は、今では低くなり、ビルケナウの4つの焼却棟の『犯罪の痕跡』として知られる概括的なリストの中の資料19という歴史的証拠の中の1つの断片にすぎなくなっている。」(プレサック)[41]GaskammerVergasungsraumといった用語は害虫駆除室をさす用語として頻繁に使用されていたので、プレサックも、この用語の使用が「殺人ガス室」の実在の証拠ではないと考えている]

43/

3/6

「焼却棟ⅡとⅢ(BW30と30a)死体安置室1を3つの強制送風設備からの空気で前もって暖めておく可能性」(民間人従業員イェーリングからトップフ社へ)

「死体安置室を前もって暖めておくということは、地下室1がガス室ではなく、『典型的な地下死体安置室』であったとする修正主義者の議論を完全に打ち砕くものである。その性質上冷たい状態でなくてはならない部屋を、なぜ、暖めたがっているのであろうか。これらの部屋を死体安置室から、投入された物質を速やかに気化させるために高い温度が必要なガス室に改造するという、部屋の機能の変化がなかったとすれば、この考えは馬鹿げたものであろう。」(プレサック)[42][通常の害虫駆除室は、シアン化水素ガスの放出を促進するために、温風装置を常備していた。もし1000―3000名ほどの人間を詰めこんだ「殺人ガス室」を想定するとすれば、彼らの体温で気温は上昇するので、「前もって暖めておく」必要はない。本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問004 を参照]

43/

3/8-14

トップフ社の取り付け工メッシングの「作業日誌」に焼却棟Ⅱの「脱衣地下室」という用語が登場。43/1/21の項目にあるように、収容所医師ヴィルツが、焼却棟の地下室に脱衣室を設置するように要請していた]

3月8-14日の項目には疑問の余地がない.作業現場は建物30(焼却棟Ⅱ)であり,彼が仕事をしている部屋,すなわち地下室Ⅱは定められており,『脱衣』地下室として言及されている.その他の項目では,『Ⅱ』という指摘はないが,『脱衣室』という単語はいつも直接に同じ部屋をさしている.このような用語法は,死体安置室2が脱衣室となったことの補足的な証拠である。」(プレサック)[43]

43/

3/22

焼却棟Ⅳが公式に収容所当局に引き渡される。

 

43/

3/25

「死体安置室1の排気システムには、木製の送風機の代わりに、金属製の送風機が最終設計として採用された。」(収容所記録簿)[木製の送風機は結局設置されなかった]

1901名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のギリシアからの移送で、サロニカ・ゲットーから到着。選別後、…その他の1206名がガス室で殺された。」(チェク)[44]

43/

3/30

囚人病棟から焼却棟[焼却棟Ⅱ]に死体を運ぶために、それぞれ50体の運搬が可能な2両の屋根つき手押し車を手に入れなくてはなりません。」(収容所医師ヴィルツからヘスへの書簡)[収容所医師ヴィルツは、右の絶滅物語によると、約2000名のガス処刑が進行中の焼却棟Ⅱ、すなわち、大量の犠牲者の死体が滞留していたはずの死体安置室に、囚人病棟からの病死した囚人の死体を、なんと、「50体の運搬が可能な2両の屋根つき手押し車」で運ばせることに苦慮している]

2501名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のギリシアからの移送で、サロニカ・ゲットーから到着。選別後、…その他の2048名がガス室で殺された。」(チェク)[45]

43/

3/31

焼却棟Ⅱが公式に収容所当局に引き渡される。

 

備品目録にはシャワーは記載されていない。引渡し付属図面2197に「死体滑降路」が記載

 

SS中央建設局は、ビルケナウで完成していたガス室付きの焼却棟Ⅱを守備隊当局に引き渡した。…焼却棟Ⅲと同様に、焼却棟Ⅱのガス室は3000名を収容可能であり、脱衣室と同じく、地下にあった。…ガス室の隣にはエレベーターがあり、それは、死者を地下から、地上の焼却炉のあるホールに運んでいった。」(チェク)[46]

 

備品目録の「1個のガス[気密ドア」]、「4個の針金網投入装置」、「4個の木製カバー」=「犯罪の痕跡」(プレサック)[47] [本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問001質問005 を参照]

43/

4/4

焼却棟Ⅴが公式に収容所当局に引き渡される。

 

43/

4/13

「アウシュヴィッツ捕虜収容所の焼却棟Ⅱのための2つのトップフ社製害虫駆除炉。」(トップフ社の一覧表)[一時期、焼却棟Ⅱの炉も、中央サウナの装置と同じように、「害虫駆除炉」と呼ばれている]

「約2800名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のギリシアからの移送で、サロニカ・ゲットーから到着。選別後、…その他の約1936名はガス室で殺された。」(チェク)[48]

43/

5/7

SS経済管理本部C局長カムラーSS少将、収容所長へスSS中佐、中央建設局長ビショフSS少佐、SS守備隊医師ヴィルツSS大尉たちの会議。席上、ヴィルツ医師は、「重要な仕事を割り当てられている囚人の健康状態を維持することは、劣悪な便所、不十分な下水システム、病棟と患者用の便所の欠如、および、洗濯・入浴・殺菌消毒システムの欠如のために、危うくなっている。…入浴施設も含む完全な殺菌駆除施設を建設することを提案した。」(中央建設局長ビショフによる会議要録)

 

フタ社、「焼却棟ⅡとⅢの長さ6.8mの死体滑降路を3740マルクのコストで建設した」との報告。[プレサック、ペルトが消滅したと述べている死体滑降路は、結局設置された]

「約1000名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のギリシアからの移送で、サロニカ・ゲットーから到着。選別後、…その他の人々はガス室で殺された。」(チェク)[49]

43/

5/13

「民間人従業員イェーリングは、洗濯バラックへのヒーターとボイラーの設置、ならびに、焼却棟Ⅲの脱衣室へのシャワーの設置を実行しなくてはならない。シャワーについては、SS少佐ビショフが、収容所長のヘスSS中佐と相談するであろう。」(中央建設局長ビショフの報告)

「約1000名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のユーゴスラヴィアからの移送で、アグラムから到着。選別後、…その他約945名はガス室で殺された。」(チェク)[50]

43/

5/14

ビルケナウ収容所の衛生部門での大規模改善計画(「即時計画」、「特別処置」、「特別計画」、「特別建設処置」、「特別行動」)命令がアウシュヴィッツ所長ヘスに伝達。

「それは「捕虜収容所(特別行動の実施)」というキャプションがつけられているが、それは、殺人作業を意味している。」(プレサック)[51][「特別行動=絶滅」というコード言語説の採用]

43/

5/15

100個のシャワーに温水を供給する計画についての見積もりを月曜日までにもってくること。焼却棟Ⅲに建設中のゴミ焼却炉のなかに加熱コイルもしくはボイラー、もしくは高温の排気ガスを利用するためのガス流出ダクトを設置すること」(中央建設局長ビショフからトップフ社あての電文)[焼却棟Ⅲの地下に本格的な温水供給装置をもつシャワー設備を設置しようとしていた]

 

43/

5/16

「殺菌駆除施設。囚人の衣服を殺菌駆除するために、建設区画Ⅱの各サブ区画はトット機関の殺菌駆除装置を備えるであろう。囚人自身から間違いなく害虫駆除するために、建設区画Ⅰの既存の二つの囚人入浴施設には、既存のシャワーに温水を提供する加熱コイルとボイラーが設置されるであろう。…焼却棟Ⅲの地下室に建設中であるシャワー設備に温水を供給するために、ゴミ焼却炉に加熱コイルを設置することも計画されている。」(中央建設局長ビショフによる「SS少将・武装SS少将カムラー工学博士がアウシュヴィッツ捕虜収容所のために実行を命じた特別計画を遂行する処置に関する報告」)[焼却棟Ⅲの地下に本格的な温水供給装置をもつシャワー設備を設置しようとしていた]

「約4500名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部のギリシアからの移送で、サロニカ・ゲットーから到着。選別後、…残った約3800名以上がガス室で殺された。」(チェク)[52]

43/

5/17

カムラー、ビルケナウ収容所の建設区画Ⅲを囚人のための病棟区画に変えるように命じる。[ビルケナウにおける病棟・検疫地区の建設命令]

 

43/

5/27

SS経済管理中央本部は「800人のマラリア患者」をアウシュヴィッツからマイダネクに移送するようアウシュヴィッツ所長に指示。[ホロコースト正史によれば、労働不能の病人囚人はガス処刑されたのでは?]

 

43/

5/28

C局長の指示にもとづいて、中央建設局とSS守備隊医師の全面的な協力の下で、ビルキクトSS少尉に、アウシュヴィッツへの全面的な衛生施設の設置にできるだけすみやかに着手させることが緊急に必要である。

収容所は、8000-12000名の患者のための特別検疫区画を備えるはずである。」(病棟長ビルキクトSS少尉のメモ)

 

43/

5/29

害虫駆除室の建設計画に「Entwesungskammer K.L. Auschwitz [...]. 1. Die Beschläge zu 1 Tür mit Rahmen, luftdicht mit Spion für Gaskammer(アウシュヴィッツ強制収容所用の害虫駆除室、…ガス室用の、枠とのぞき穴を持った1個のガス気密ドアの装備品)」との記載[害虫駆除室がたんに「ガス室」と呼ばれており、「のぞき穴」をもつ「ガス気密ドア」を備えていたことを示している]

 

43/

5/30

「温水供給システムの設置が二つの害虫駆除バラック(囚人入浴施設)で始められた。」(ビショフ報告)[害虫駆除施設の建設の進行]

 

43/

6/1

「建設区画Ⅲをまったく隔離された8000-10000名の囚人の病棟区画、男女別々の検疫区画とする計画」(ビショフからカムラーへ「衛生施設の改善のための捕虜収容所での特別処置」)

 

43/

6

中央建設局長ビショフ、焼却棟の排気ガスを利用するとすればとの質問に「焼却棟ⅡとⅢの入浴施設のために」と回答。

 

43/

6/4

「囚人用のシャワー区画[中央サウナ]には54個のシャワーがあり、それぞれ3000ℓの能力を持つ2つのボイラーで支えられている。」(ビショフからSS経済管理本部あて書簡)[害虫駆除施設の建設の進行、稼働開始にともない、焼却棟Ⅱ、Ⅲを臨時の害虫駆除施設として利用する計画は中止]

 

「アウシュヴィッツ強制収容所―建設区画Ⅲ。囚人病院と検疫区画」という図面2521作成

 

43/

6/11

「捕虜収容所での特別処置を実行するのに必要なバラックのリスト」に、「4棟の手術を受けたばかりの患者用バラック」、「4棟の重病人用バラック」、「2棟のX線と処置バラック」、「2棟の手術バラック」、「111棟の通常患者用バラック」との記載。

 

43/

6/24

焼却棟Ⅲが公式に収容所当局に引き渡される。備品目録には死体安置室1用の「ガス気密ドア」と「14個のシャワー」が記載

[焼却棟Ⅲを臨時の害虫駆除施設として利用するという計画の放棄にともない、シャワー設備は、収容所の囚人ではなく、焼却棟従業員を対象とする小規模のものに変更]

[この]資料は、…焼却棟Ⅲの死体安置室1に殺人ガス室が実在した決定的証拠である。」(プレサック)[53]焼却棟が「ガス気密ドア」や「シャワー設備」を備えていることには、まったく「犯罪的」意味など存在しない本サイトの重要な論点に関するQ&A 質問005 を参照]

 

「約1600名のユダヤ人男性・女性・子供が国家保安中央本部の移送で、シロドゥラ、ソスノヴィツの病院、ベンディンのカミオンカ・ゲットーから到着。選別後、…残った約1575名がガス室で殺された。」(チェク)[54]

43/

6/28

中央建設局長ビショフ、焼却棟の1日の死体処理能力について、焼却棟Ⅰ:340、焼却棟Ⅱ:1440、焼却棟Ⅲ1440、焼却棟Ⅳ:768、焼却棟Ⅴ768、合計:4756体と、SS経済管理本部に報告。

焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの数字は純粋に理論的なものである。…彼らの功名心からすると、低い数字は都合の悪いものであり、サボタージュとまでみなされたであろう。…いかなる稼動にももとづいていない純粋に仮説上の数字である。」(プレサック)[55]

 

「当時一番高名なドイツの焼却専門家によるこのメモは、1943年6月28日付けのベルリンあてのアウシュヴィッツ中央建設局報告が述べているような、1日4756体という合計の処理能力が非常に誇張されたものであることを明らかにしている。」(プレサック)[56][実際の処理能力はこれよりもはるかに低い]

43/

7/13

[この日までに]「建設区画Ⅰの二つの害虫駆除バラック(囚人入浴施設)の温水供給システムは稼動している。」(ビショフによる「捕虜収容所と中央収容所の特別処置の作業に関する進捗報告」)[本格的な害虫駆除施設の稼動開始]

 

 

43/

7/20

「すでに使用されている建設区画Ⅱの収容所群には、コンクリートか煉瓦の死体安置室が依然として存在していません。緊急に設置することが必要です。

 現在この目的のために使われている木造小屋はネズミの攻撃にさらされており、死体を取り除くときに調べてみると、攻撃のあとが残っていない死体はほとんどありません。ネズミは死体にひきつけられており、撲滅不可能なほど増殖しています。ネズミのノミは疫病の媒介者です。収容所の中で疫病が流行すれば、アウシュヴィッツ強制収容所のわが方のスタッフと囚人に想像を絶する帰結をもたらすことでしょう。」(収容所医師ヴィルツから中央建設局あて書簡)

1000名のユダヤ人がドランシーから、国家保安中央本部のフランスからの57の移送で、到着。選別後…その他の440名は、ガス室で殺された。」(チェク)[57]

43/

8/4

「ムルゴフスキイSS大佐は、この会議の席上で、死体を1日に2回、朝と晩に焼却棟の死体安置室に運ぶようにすれば良く、そうすれば、個々の地区に死体安置室を別々に建設することを避けうるとの見解を示しました。」(中央建設局長ビショフからヴィルツへの回答)

 

44/

5/9

 

SS収容所長ヘスは、ハンガリー系ユダヤ人の絶滅が加速的に開始されることに備えて、一連の指示を出した。すなわち、ビルケナウのプラットフォームと3つの連絡支線の拡張をスピードアップすること、稼働していなかった焼却棟Ⅴの炉を稼働させること、その隣に5つの死体焼却壕(3つの大きいものと2つの小さいもの)を掘ること。さらに、ブンカー2の稼働を再開すること、その隣に焼却壕を掘ること、最後に、脱衣バラックを建てること。」(チェク)[58][ヘス、ドラゴン、タウバーの戦後証言だけにもとづいている]

44/

5/15

SS守備隊医師は、アウシュヴィッツⅡ強制収容所の建設区画Ⅱのために石造の死体安置室を建設するように要請しています。」(建設監督局長ビショフから中央建設局長ヨハンあて書簡)

 

44/

5/16

 

3つの貨物列車が連結支線に到着した。国家保安本部による、初めてのハンガリー系ユダヤ人の移送集団であった。到着したユダヤ人は手荷物を下ろすように命じられ、そのあと5列となって、焼却棟の方角に連れて行かれた。この夜から、焼却棟の煙突は煙を噴きはじめた。…1つの貨物列車が40から50両の貨車で構成されていた。1つの貨車には約100名が載っていた。選別後、少年と健康な人々は、登録簿に登録されることなく、いわゆる積み残し囚人として収容所にいることを認められた。残りの人々はガス室に送られた。」(チェク)[59][この記述も戦後の証言だけにもとづいている]

44/

5/25

「アウシュヴィッツⅡの収容所の病棟には、毎日規則的に、死体がたまっています。死体を焼却棟に搬送することが行なわれており、1日に2回、朝と晩、搬送が行なわれていますが、車両が不足していたり、燃料が不足していたり、その2つが重なってしまうために、死体は24時間では処理されてはいません

 衛生上の理由から、また疫病の防止のために、どのような病院であっても、短期間のあいだ死体を保管する死体安置室を持っています。普通、一般の病院では、ベッドの数は500を超えることはありません。しかし、囚人病棟では、ベッドの数は平均3000-4000にも達しています。したがって、多数の死体のための適切な保管スペースを確保しなくてはならないと考えています。」(収容所医師ヴィルツからSS守備隊主任将校あて書簡)[ハンガリー系ユダヤ人の大量ガス処刑が焼却棟で進行中であったはずの時期に、収容所医師は、なんと、燃料や車両不足のために病死した死体を焼却棟に運ぶことができないので、収容所病院に死体がたまってしまい、衛生状態が悪化してしまうことを心配している]

5/24 「国家保安本部の移送から選別された2000名のユダヤ人がA-5729-A-7728の番号を得る。残りの人々はガス室で殺された。」(チェク)[60]

44/

6/16

最初の囚人移送集団は、1944年6月9日に到着しました。現時点では、7000名の囚人(ユダヤ人)が建設区画Ⅲに収容されています

 建設学上と衛生保健上の観点から見ますと、この建設区画に囚人を収容する準備はまったく整っていません。もっとも原始的な衛生施設さえも完備していないからです。…宿舎バラックには、衛生兵のシェルペルSS曹長の話によると、800-1000名の囚人が収容されています。バラックの屋根にタールをしく作業はまだ終わっていませんし、収容所の連結道路はまだ建設中です。ベッドがないために、囚人たちは床の上で寝ています。建設作業の完了以前に、建設区画Ⅲに囚人を収容してしまったために、もっとも基本的な衛生状態が欠けている状況のもとでは、疫病の発生する危険が差し迫っています。」(シュレジエン建設監督局衛生・保健技師ブルーノ・ウェーバーSS中尉の「捕虜収容所―建設区画Ⅲ」報告)[収容所当局は、大量のハンガリー系ユダヤ人の到着に対応できず、ひとまず、建設区画Ⅲの病棟・検疫区画に収容せざるをえなかった]

 

44/

9/13

ビルケナウの建設区画Ⅲに病棟・検疫区画を建設するという計画、最終的に放棄。重病人用バラック解体作業の開始。[ハンガリー系ユダヤ人用の宿舎バラックの確保、特別処置の中止]

 

44/

11月末

[ヒムラーのガス処刑中止命令は、ドイツ側の資料にはまったく登場していない。]

秘密裏に、ヒムラーは、毒ガスによる殺戮を中止させた」(プレサック)[61]

 

11月末、ヒムラーからの口頭の命令で、ガス処刑は中止された。12月初頭に結成された解体部隊が、焼却棟ⅡとⅢを解体した。焼却棟Ⅴは使われ続けたが、『自然死』した人間の焼却という『正規』の使われ方であった。」(プレサック)[62]

 

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[1] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes. Piper Verlag, München-Zürich 1994, S. 155.

[2] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, edited by Y. Gutman and M. Berenbaum,Indiana U.P., p. 212.

[3] Danuta Czech, Auschwitz Chronicle 1939-1945, N.Y., 1997[Czech], p. 165.

[4] Czech, 166.

[5] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 155.

[6] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 213.

[7] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 155.

[8] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 213.

[9] Czech, 183.

[10] Czech, 199.

[11] Czech, 201.

[12] Czech, 206.

[13] Czech, 210.

[14] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 156.

[15] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, p. 188.

[16] Czech, 218.

[17] Czech, 225.

[18] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 215.

[19] Czech, 243.

[20] Czech, 248.

[21] Czech, 258.

[22] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 75.

[22] Ebenda, S. 83.

[23] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 302.

[24] Jean-Claude Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 81.

[25] D. Dwork, R. J. van Pelt, Auschwitz 1270 to the present. W. W. Norton & Company, New York-London 1996, p. 324.

[26] Czech, 287-288.

[27] John C. Zimmerman, Body Disposal at Auschwitz. http://holocaust-history.org/auschwitz/bodydisposal/

[28] Czech, 305.

[29] Czech, 308.

[30] Czech, 309.

[31] Czech, 311.

[32] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 217.

[33] Czech, 316.

[34] Czech, 321.

[35] Czech, 328.

[36] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 229.

[37] Czech, 334.

[38] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 230.

[39] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, p. 230.

[40] Czech, 342.

[41] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 431.

[42] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 432.

[43] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 429.

[44] Czech, 360.

[45] Czech, 363.

[46] Czech, 364-365.

[47] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 430.

[48] Czech, 375.

[49] Czech, 392.

[50] Czech, 396.

[51] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz,

[52] Czech, 399.

[53] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 430.

[54] Czech, 424.

[55] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 244.

[56] Jean-Claude Pressac, Enquête sur les chambres à gaz, in: Les Collections de l'Histoire, Supplement to the magazine L'Histoire, No. 3, October 1998, p. 41.

[57] Czech, 443.

[58] Czech, 622.

[59] Czech, 627.

[60] Czech, 632.

[61] J.-C. Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes, S. 167.

[62] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz.


『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

— ロベール・フォーリソン教授博士

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Jewish Manipulation of World Leaders - Photos 

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ルドルフ報告 - アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告

The Israeli Nuclear Threat

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The Jews behind Islamophobia

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Jewish hate against Christians
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シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態

トレブリンカ - 絶滅収容所か通過収容所か
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Karl Marx: The Jewish Question

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Israel Shahak's "Jewish History,
Jewish Religion"


1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

Judaism and Zionism inseparable

第二次大戦中のドイツの強制収容所における殺人ガス処刑についての目撃証言
ユルゲン・グラーフ

"Jewish History" - a bookreview

写真  

アウシュヴィッツ国立博物館員ピペル博士へのインタビュー
デイヴィッド・コール

Black Muslim leader Louis Farrakhan's Epic Speech in Madison Square Garden, New York  - A must see!

Racist Jewish Fundamentalism

The U.S. cost of supporting Israel

Talmud unmasked
タルムード抜粋一例


Jews DO control the media - a Jew brags! - Revealing Jewish article

航空写真と矛盾している12の「目撃証言」(J.ボール)  

Quotes - On Jewish Power / Zionism

今日の米国ユダヤ人の経済力

政治漫画 

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