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試訳:アウシュヴィッツ「絶滅物語」における新しい「公的」変更

――マイヤー論文によせて――

M. ウェーバー

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2006年6月01日

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Mark Weber, New ‘Official’ Changes in the Auschwitz Story, The Journal of Historical Review, 2002, Vol. 21, No. 3-4を「試訳したものである(文中のマークは当研究会が付したものである)。

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.ihr.org/jhr/v21/v21n3p24_weber.html

[歴史的修正主義研究会による解題]

アウシュヴィッツの犠牲者数と殺戮現場に関するホロコースト正史を大きく「修正」したマイヤー論文「アウシュヴィッツの犠牲者数」(2002年)に対する、アメリカの修正主義的研究者ウェーバーの書評。

[本サイト内の関連文献]

試訳:フリツォフ・メイヤーの新説批判(C. マットーニョ)

試訳:メイヤーによる用心深い正史の修正(G. ルドルフ)

試訳:ピペル・メイヤー論争によせて(C. マットーニョ)

試訳:マイヤー・ピペル論争によせて(J. グラーフ)

試訳と評注:F. ピペル、マイヤー論文の書評

 

 

 第二次世界大戦の終了以降、アウシュヴィッツ強制収容所での殺戮の性格と規模についての定説は劇的に変ってきた。その変更の中で際立っているのは、犠牲者数の「公的な」見積もりである。その数字にはさまざまなものがあるが、1945年以降、下がり続けている。

 戦後半世紀たった今日でも、「ホロコースト正史派」による「修正」はまだ続けられている。最近では、その傾向は、高名な東ヨーロッパ研究学会が発行しているドイツ語の学術研究誌『オスト・オイローパ(東欧)』2002年5月号に掲載された長文の論文「アウシュヴィッツの犠牲者数」に現われている。この論文の筆者フリツォフ・マイヤーは、ドイツの高名な週刊誌『シュピーゲル』の主任編集員である。彼は対外政策のアナリストでもあり、いくつかの著作を著している[1]

 

<劇的な下方修正>

 アウシュヴィッツ収容所群は、今日では南・中央ポーランドに位置するが、1940年にドイツ当局によって設立された。大量のユダヤ人が1942年から1944年中頃までの期間にそこに移送されてきた。中央収容所もしくはStammlagerはアウシュヴィッツⅠとして知られている。ビルケナウもしくはアウシュヴィッツⅡが主要絶滅センターとみなされている。

 戦後にニュルンベルクで開かれた国際軍事法廷(1945-46年)では、戦勝国は、ドイツがアウシュヴィッツで400万人を絶滅したと告発した。ソ連政府の委員会報告の中にあるこの数字は、長年のあいだ無批判的に受け入れられ、アメリカのおもな新聞や雑誌にもしばしば登場した[2]

 これ以上の数字であれ、以下の数字であれ、その他の数字も、終戦後の数十年間にたびたび登場した[3]

 ブッヘンヴァルトの囚人であったオイゲン・コーゴンが戦争直後に執筆した『Der SS Staat(SS国家)』は、戦時中のドイツの収容所システムに関して、もっとも広く読まれた著作である。高い評価を受けたこの著作は、アメリカ合衆国では『The Theory and Practice of Hell(地獄の理論と実践)』とのタイトルで出版されたが、アウシュヴィッツだけで「少なくとも350万人の犠牲者、ひいては450万人の犠牲者」がいると述べている[4]

 1955年に製作されたフランスのドキュメンタリー映画『夜と霧』はフランス各地で上映され、また、アメリカでも多くの人々が見た作品であるが、アウシュヴィッツでは900万人が命を失ったと述べている[5]

 マイヤーは『オスト・オイローパ』誌の論文の中で、この分野での著名なユダヤ系専門家ライトリンガーは、1953年の『最終解決』の中で、合計100万人がアウシュヴィッツで死亡し、そのうち、75万人がガス処刑されたと見積もっていると記している[6]

 マイヤーによると、東ヨーロッパでは、1989年まで、アウシュヴィッツで400万人が殺されたという定説に異論を唱えることは禁止されていた。アウシュヴィッツ国立博物館で、この数字に疑問を呈したスタッフは、懲罰措置にかけると脅かされたという。1989年、イスラエルのホロコースト史家イェフダ・バウアーは、よく知られている400万人という数字が意図的に作り出された神話であることを認めるべきときであると述べた[7]。1990年7月7日、ポーランドの政府機関であるアウシュヴィッツ国立博物館は、イスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト・センターと連名で、総計100万人(ユダヤ人・非ユダヤ人)がアウシュヴィッツで死亡したと声明した[8]

 アウシュヴィッツ博物館館長ピペルは、1994年の半公的な論集に寄稿した論文の中で、アウシュヴィッツの犠牲者数を110万とした[9]。著名なアメリカの新聞も、これに歩調を合わせる形で、最近数ヶ月の記事では、「100万以上の」ユダヤ人がアウシュヴィッツで命を失ったと述べている[10]

 1994年に出版された著作の中で、フランスの反修正主義的研究者プレサックは、アウシュヴィッツでの死者の数を63万1000人から71万1000人、うち、47万人から55万人がガス処刑であったと見積もっている[11]

 マイヤーは、『オスト・オイローパ』誌の論文の中で、さらに下方修正を進めている。「こうしたことを考慮すると、50万名がアウシュヴィッツで殺され、そのうち、356000名がガス処刑されたという結論となる」というのである。マイヤーは、51万人がアウシュヴィッツで命を失い、うち356000人が「おそらく」ガス処刑されたとの結論で、論文を締めくくっている

 

<ヘスの「自白」>

 アウシュヴィッツでの大量殺戮の最重要証拠として数十年間にわたって引用され続けてきたのは、1940年5月-1943年12月、1944年5月-7月にアウシュヴィッツ所長であったルドルフ・ヘスの戦後証言である。終戦以来、1946年3月、4月の彼の供述、1946年4月のニュルンベルク裁判証人としての彼の証言は、数多くの歴史書、新聞、雑誌論文に繰り返し引用されてきた[12]。これらの供述や証言の中で、ヘスは、アウシュヴィッツでは300万人が死亡し、そのうち、250万人が「ガス処刑と焼却によって」殺されたと述べていた[13]

 フォーリソン教授は1985年の詳細な論文の中で、ヘスの「自白」が拷問によって引き出された偽証であることを明らかにした[14]マイヤーは、このフォーリソンが17年も前にしてきていた論点を踏襲して、ヘスの「自白」は、「3日間にわたって、眠ることも許されず、拷問にかけられ、尋問の答えのたびに殴られ、裸のままで、強制的にアルコールを飲まされた」結果引き出されたものであると記している

 

<ブロシャートのごまかし>

 マイヤーは『オスト・オイローパ』誌の論文の中で、戦後ドイツのもっとも傑出した歴史家の一人ブロシャートのごまかしに触れている。ブロシャートは1972年から1989年に死亡するまで、ミュンヘンの半公的な現代史研究所の所長代理、ついで所長をつとめた。マイヤーによると、「百万規模単位のヘスの数字には信憑性がなかったので、ブロシャートは自分が編集したヘス文書を出版するにあたって、そのいくつかを省略・削除した」というのである

 とくに、マイヤーによると、ブロシャートは、「ルーマニアからの約400万人のユダヤ人」、「ブルガリアからの250万人と見積もられているユダヤ人」といった表現など、ヘスの「回想録」にある存在しない絶滅予定の数百万のユダヤ人についての数字を削除したというのである。実際には、1940年の時点で、ルーマニアにいたユダヤ人の合計は342000人ほどにすぎず、ブルガリアにはユダヤ人の合計は、程度の差こそあれ、信頼できる見積もりによると、48000人から63000人ほどであった。ヘスは、ルーマニアのユダヤ人口を10倍も、ブルガリアのユダヤ人口にいたっては、50倍ほども水増ししていることになる。

 ブロシャート博士は重要な歴史資料を意図的に偽造していたことになるが、彼に対しても、彼が所長をつとめた高名な研究機関に対しても抗議の声が公に表明されたことは一度もない。同じく、このごまかしを謝罪した人物も一人もいないし、謝罪を求めた人物さえもいない。

 

<ビルケナウの焼却棟の軽視>

 数十年のあいだ、アウシュヴィッツでのユダヤ人の大量殺戮は、おもに、ビルケナウの焼却棟の半地下死体安置室の中で毒ガスによって行われたというのが定説であった。例えば、アウシュヴィッツの権威とみなされており、2000年1月-3月に開かれた有名なアーヴィング・リップシュタット裁判でリップシュタット側の重要証人であったペルトも、そのような見解を抱いている。彼は、裁判での証言の中で、ビルケナウの焼却棟Ⅱを「アウシュヴィッツの殺戮施設の筆頭」、「地球上のどの場所よりも多くの人々が死んだ地点、50万人が殺された地点」と呼んでいる[15]

 マイヤーは『オスト・オイローパ』誌の論文の中で、この「殺戮施設」の重要性をディスカウントしている。彼は、ガス処刑の中心地をビルケナウの焼却棟ⅡとⅢから、「白い家」、「赤い家」としても知られている二つの「農家」もしくは「ブンカー」に移すことで、よく親しまれてきたアウシュヴィッツ絶滅物語を大きく修正してしまっている。「おそらく、実際に殺戮が行なわれたのはおもに、収容所の外にある農家を改造した二つの小屋であった。その一つ『白い家』もしくは『ブンカーⅠ』の土台が最近発見されている」というのである。

 ここで、マイヤーは、「おそらく」とか「おもに」という単語が何を意味しているのか説明していない。

 

<非組織的な大量殺戮?>

 また、マイヤーは、よく親しまれている絶滅物語のもう一つの重要な側面にも疑問を呈している。ホロコースト正史によると、1941年夏、遅くとも1942年の夏に、ヒトラーは、ドイツの支配下にあるヨーロッパのユダヤ人すべての組織的絶滅を命じたという。そして、その命令にしたがって、SS長官のヒムラーが、殺戮センターとなる予定のアウシュヴィッツの所長ヘスに、アウシュヴィッツでユダヤ人の組織的殺戮を実行するように命じたという。「死ぬまで働く」ことができた労働適格ユダヤ人だけが、一時的に助かったという。

 マイヤーによると、この物語は正確ではない。マイヤーはこう説明している。すなわち、SS将校ハンス・アウマイアーは、ヨーロッパで戦いが終わって数ヵ月後に、ヘスが1942年11月に、収容所での疫病の流行を防ぐために、病弱なユダヤ人、労働不適格なユダヤ人すべてをガス処刑するようにとの命令をヒムラーから受けたと証言している[16]。マイヤーはこのアウマイアー証言を信用しており、その証言によると、ユダヤ人がアウシュヴィッツで殺されたのは、ヨーロッパ・ユダヤ人すべてを組織的に殺戮する包括的な絶滅プログラムの一環としてではなく、アウシュヴィッツⅠとビルケナウ収容所で流行っていた恐ろしい疫病を鎮圧するための例外的な措置としてであったという[17]

 

<疑わしい資料>

 マイヤーはまた、アウシュヴィッツでの大量殺戮の重要証拠として長年にわたって引用されてきた資料、すなわち、アウシュヴィッツ中央建設局長ビショフからベルリンの経済管理中央本部に当てた1943年6月28日の書簡にも疑問を呈している。この手紙の中で、ビショフは、アウシュヴィッツ中央収容所とビルケナウ収容所の焼却炉は24時間で4756体を処理することができると述べている。例えば、この資料は、半公的な著作『ナチスの大量殺戮』の「ビルケナウの完成したガス室」という章にも引用されている[18]

 しかし、すでに1989年、フランスの反修正主義的研究者プレサックは、この資料の数字に疑問を呈している。彼は、この年に出版された著作の中で、実際の焼却能力はビショフ書簡の数字の半分か3分の1であろうと述べている[19]マイヤーは、プレサックがこの数字のことをSS[内部の宣伝目的の嘘]とみなしていたこと、ペルトでさえもビショフ書簡の数字を半減させていたことを指摘しつつ、「この資料の信憑性に疑問を抱くのはまったく許されることである」と記している

 また、マイヤーは、昼夜兼行で煙を吐き出しながら稼働する「工場のような」ビルケナウの焼却棟という、よく親しまれたイメージもディスカウントしている。これらの焼却棟の稼働は単発的であり、対することも多かったというのである。例えば、1943年3月22日に稼働をはじめたビルケナウの焼却棟Ⅱは、4月3日にはすでにその煙突に亀裂が生じ、5月なかばには稼働停止したという。だから、ビルケナウの焼却棟はこれまで主張されてきたような数の死体を処理することができないので、1942年12月から1943年3月には、数万の死体が戸外で焼却されたというのである。

 マイヤーはこの説に内在する問題点を見過ごしている。すなわち、もしもビルケナウが、数十万のユダヤ人を計画的・組織的に絶滅するセンターであるとしたら、なぜ、収容所当局は予想される犠牲者を処理できる能力を持つ焼却棟を建設しなかったのであろうか?別の言い方をすれば、間に合わせの戸外の薪の上で数万の死体を焼却したと知れば、そのような事態は、上層部からの命令にもとづいて、組織的な絶滅が実行されたはずであるセンターとしてのビルケナウの役割にはそぐわないことになる。

 50万人ほどがアウシュヴィッツで殺されたというマイヤーの結論は、おもに、彼なりの焼却能力についての考え方――合計433000人がアウシュヴィッツ(ビルケナウも含む)で焼却された――にもとづいているのである。

 

<結論>

 アウシュヴィッツの死者100万人程度という最近のホロコースト正史の数字に対して、マイヤーは、ユダヤ人犠牲者の数を少なくとも45万人にまで減らしている。もしも、修正主義者に対して普通に適用されているような法的な基準がマイヤーにも適用されれば、ユダヤ人の死を「相対化したり」、「否定したり」することを禁止するドイツの法律に抵触した咎で、訴追されるであろう

 マイヤーもうすうすこのことに気がついているようである。彼は、自分の「否定」や「相対化」を「ポリティカル・コレクトネス」的に正当化しようとして、尊大にも、「この結果は野蛮さを相対化するものではなく、むしろ野蛮さを立証している。ひいては、新たな文明の崩壊に対する説得力のある警告となっている」と述べているからである。

 マイヤー論文の副題は「新しい文書資料の発見による新しい評価」である。事実、マイヤーと『オスト・オイローパ』誌は、フォーリソンなどの修正主義者がすでに何年もまえから行なっていた「物理学的」・「法医学」的論点のうちいくつかの論点も含めて[20]、「否定派」のかねてからの疑問を認めている。マイヤーは、自分の論文が示しているように、その中身を依然として変えているホロコースト正史を否定するにあたって、修正主義者の方が正しいことを意図せずして認めてしまっているのである。

 

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[1] Fritjof Meyer, “Die Zahl der Opfer von Auschwitz: Neue Erkenntnisse durch neue Archivfunde,” Osteuropa: Zeitschrift für Gegenwartsfragen des Ostens, 52. Jg. 5/2002, Mai 2002, pp. 631-641. (『オスト・オイローパ』誌は、Deutsche Gesellschaft für Osteuropakundeから出版されている。)
『シュピーゲル』誌の主任編集者(leitender Redakteur)フリツォフ・マイヤーは、1932年生まれである。彼はさまざまな学位Dipl. DHP, Dipl.-Politologe, Dipl.-Kameralist.を持っている。また、例えば、Weltmacht im Abstieg: der Niedergang der Sowjet-Union (München: C. Bertelsmann, 1984)の著者でもある。

 有名なドイツの日刊紙『ヴェルト』の記事が、マイヤー論文の衝撃、その論文への反応を伝えている。See: Sven Felix Kellerhoff, “Der Fall des angesehenen Journalisten Fritjof Meyer,” Die Welt, August 28, 2002. (This text is posted on David Irving’s web site.) See also: “Auschwitz: Die Wahrheit,” National-Zeitung (Munich), No. 30, July 19, 2002, pp. 1, 5.

[2] Nuremberg document 008-USSR (May 6, 1945). International Military Tribunal, Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal (Nuremberg: 1947-1949; IMT 42-vol. “blue series”), Vol. 39, pp. 241, 261; C.L. Sulzberger, “Oswiecim Killings Placed at 4,000,000,” The New York Times, May 8, 1945, and, The New York Times, Jan. 31, 1986, p. A4.

[3] Robert Faurisson, “Combien de morts a Auschwitz?,” Dec. 18, 1995, in Écrits Révisionnistes (1999), vol. 4, pp. 1730-1740.
German translation: R. Faurisson, “Wieviele Tote gab es im KL Auschwitz”?,” Viertelsjahreshefte für freie Geschichtsforschung, Sept. 1999 (3. Jg., Heft 3), pp. 268-272. Note also Faurisson’s comment on Auschwitz figures in The Journal of Historical Review, Jan.-Feb. 1995 (Vol. 15, No. 1), p. 24 
試訳:アウシュヴィッツでの死亡者は何名か(R. フォーリソン)

[4] Eugen Kogon, The Theory and Practice of Hell (New York: Farrar, Straus, 1950; and, New York: Berkley, 1984 [pb.]), p. 253. The original German edition was entitled Der SS Staat.

[5] 『夜と霧』“Night and Fog” “Nuit et Brouillard”はアラン・レネの作品である (distributed by Classic Releasing, 1993)。終わりから55秒ほどのところで、アウシュヴィッツの風景を写しながら、「900万人の死者がこの風景の上に出現する」とのナレーションが続く。See also Robert Faurisson’s mentions of this film in The Journal of Historical Review, Jan.-Feb. 1994, p. 24, and in Écrits Révisionnistes (1999), vol. 4, pp. 1730-1731 (incl. footnote), 1738.

[6] 『最終解決』第二版では、ライトリンガーはユダヤ人・非ユダヤ人も含めて70-90万人がアウシュヴィッツで死亡したと見積もっている。See: G. Reitlinger, The Final Solution: The Attempt to Exterminate the Jews of Europe (London: Sphere Books, pb., 1971. 2nd edition), pp. 500-501.

[7] Y. Bauer, “Fighting the Distortions,” The Jerusalem Post (Israel), Sept. 22, 1989.

[8] “Auschwitz Deaths Reduced to a Million,” The Daily Telegraph (London), July 17, 1990; “Poland Reduces Auschwitz Death Toll Estimate to 1 Million,” The Washington Times, July 17, 1990.

[9] F. Piper, “The Number of Victims,” in Y. Gutman and M. Berenbaum, eds., Anatomy of the Auschwitz Death Camp (Bloomington: Indiana University Press, with the US Holocaust Memorial Museum, Washington, DC, 1994), p. 71.

[10] 最近、The Wall Street Journalは、アウシュヴィッツでは「100万以上が殺され、うち90%がユダヤ人であった」と述べている。See: “Burden of History: Auschwitz Repairs Force Tough Debate over Preservation,” The Wall Street Journal, Aug. 14, 2002, p. A1. 同様に、John K. Roth教授は、二人のユダヤ系ホロコースト史家の新著の書評の中で、アウシュヴィッツ・ビルケナウでは「100万人以上のユダヤ人が殺され」、「その大半がガス処刑であった」と述べている。See: Los Angeles Times “Book World,” Sunday, Sept. 22, 2002, p. 4.

[11] Jean-Claude Pressac, Die Krematorien von Auschwitz: Die Technik des Massenmordes (Munich: Piper, 1994), p. 202.

[12] ヘス証言は「決定的」、「非常に重要なもの」とみなされている。Y. Gutman, M. Berenbaum, eds., Anatomy of the Auschwitz Death Camp (Bloomington: Indiana University Press, with the US Holocaust Memorial Museum, Washington, DC, 1994), p. 29.

[13] Höss statement, March 14 (or 15), 1946. Nuremberg document NO-1210 (749-D); Höss statement, April 5, 1946. Nuremberg document 3868-PS (Exhibit USA-819). International Military Tribunal, Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal (Nuremberg: 1947-1949; IMT 42-vol. “blue series”), Vol. 33, pp. 275-279. This latter Höss statement, including its figures of Auschwitz deaths, was quoted by the Nuremberg Tribunal in its final judgment. See IMT “blue series,” Vol. 1, pp. 251-252.

[14] Robert Faurisson, “How the British Obtained the Confessions of Rudolf Höss,” The Journal of Historical Review, Winter 1986-87 (Vol. 7, No. 4), pp. 389-403. (http://www.ihr.org/jhr/v07/v07p389_Faurisson.html) The original French text was first published in Annales d’Histoire Revisionniste (Paris), No. 1, spring 1987, pp. 137-152. It was also reprinted in: R. Faurisson, Écrits Révisionnistes (1999), vol. 2, pp. 657-669.

[15] “David Irving’s Final Address in the London Libel Trial,” The Journal of Historical Review, March-April 2000 (Vol. 19, No. 2), pp. 37-38. Together with Deborah Dwork, Robert Jan van Pelt is author of Auschwitz: 1270 to Today (New York: Norton, 1996), and, most recently, also with Dwork, Holocaust: A History (New York: Norton, 2002).

[16] Source cited by Meyer (in note No. 8 of his Osteuropa article): CIA Special Collections, Reference Coll., Box 3; Bericht von BB-175 über Aumeiers Vernehmung im Gefängnis Akerhus, Norwegen, vom 29.10.1945.
See also the report on the interrogation of Kurt Aumeier of August 10, 1945, posted on David Irving’s web site (http://www.fpp.co.uk/Auschwitz/Aumeier/100845.html). Source cited by Irving: National Archives (Washington, DC), RG.319 - IRR - XE.003245 Hans Aumeier.この報告によると、 アウマイアーは、1942年11月、「病弱か労働不能なユダヤ人囚人すべてを、疫病の蔓延を防ぐために、ガス処刑すべし」との極秘命令をベルリンから受け取ったという。

[17] On epidemics at Auschwitz, see: Y. Gutman and M. Berenbaum, eds., Anatomy of the Auschwitz Death Camp (Bloomington: Indiana University Press, with the US Holocaust Memorial Museum, Washington, DC, 1994), pp. 27, 214, 328, 381, 388. See also: M. Weber, “High Frequency Delousing Facilities at Auschwitz,” The Journal of Historical Review, May-June 1999 (Vol. 18, No. 3), pp. 4-12, esp. pp. 2-8.

[18] Eugen Kogon, and H. Langbein, A. Rückerl, and others, Nazi Mass Murder: A Documentary History of the Use of Poison Gas (New Haven, Conn.: Yale Univ. Press, 1994), p. 157. Original German edition: Nationalsozialistische Massentötungen durch Giftgas (Frankfurt: S. Fischer, 1986), p. 219.
This document is also cited, and reproduced in facsimile, in a six-page article in Der Spiegel, No. 40/ 1993,
Oct. 4, 1993, pp. 151, 156. More recently, Prof. John K. Roth, in a review of a new book by D. Dwork and R. J. van Pelt, wrote that the four crematory structures at Birkenau, which “included eight gas chambers, 46 ovens and the capacity to dispose of 4,416 corpses a day.” This calculation is from the June 28, 1943, Bischoff letter (4,756 minus 340 for the crematory in the Auschwitz I main camp). Los Angeles Times “Book World,” Sunday, Sept. 22, 2002, p. 4.

[19] J.-C. Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers (New York: B. Klarsfeld, 1989), pp. 244, 247.

[20] See, for example, “Faurisson’s Three Letters to Le Monde (1978-1979),” The Journal of Historical Review, May-June 2000, pp. 40-46.


『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

— ロベール・フォーリソン教授博士

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The Internet and Israeli-Jewish infiltration/manipulations

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ロジェ・ガロディ著

我が闘争
アドルフ・ヒトラー (抄訳)

Jews and Crime  - The archive!

When Jews rule...
The best book on Jewish Power


Sayanim - Israel's and Mossad's Jewish helpers abroad

ルドルフ報告 - アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告

The Israeli Nuclear Threat

The "Six Million" Myth

Jewish "Religion" - What is it?

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Down with Zio-Apartheid
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Biden, Trump, Obama, Bush, Clinton...

修正主義の勝利
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The Jewish hand behind Internet The Jews behind Google, Facebook, Wikipedia, Yahoo!, MySpace, eBay...

アメリカのイスラエル=シオニスト・ロビーロジェ・ガロディ著

The Jews behind Islamophobia

ワシントン最強の親イスラエル圧力団体

The Founding Myths of Modern Israel
偽イスラエル政治神話
ロジェ・ガロディ著


Jewish hate against Christians
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シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態

トレブリンカ - 絶滅収容所か通過収容所か
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Karl Marx: The Jewish Question

アウシュヴィッツ:伝説の終焉
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"Anti-Semitism" - What is it?

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The Jews Banished 47 Times in 1000 Years - Why?

シオン長老の議定書

The International Jew - By Henry Ford

Pravda interviews Ahmed Rami

The Founding Myths of Modern Israel
Israel Shahak's "Jewish History,
Jewish Religion"


1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

Judaism and Zionism inseparable

第二次大戦中のドイツの強制収容所における殺人ガス処刑についての目撃証言
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アウシュヴィッツ国立博物館員ピペル博士へのインタビュー
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タルムード抜粋一例


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航空写真と矛盾している12の「目撃証言」(J.ボール)  

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